素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

評論家・森本哲郎さん亡くなる

2014年01月10日 | 日記
評論家・森本哲郎さんが5日に88歳で亡くなられたことが夕刊に報じられていた。森本さんの本を通じて私はたくさんのことを学ばせてもらっただけに一抹のさびしさを感じる。自我に芽ばえてから仕事を持って社会生活を送るまでの期間は「自分は何者か?」「いかに生きるべきか?」などを比較的余裕を持って考えることができる。これを青春時代と定義してもいい。

 青春時代に直接、間接に関わらず、自分の心に響く人との出会いは大切である。もし3人に絞るとすれば私は作家の山本周五郎さん、精神病理学医の島崎敏樹さんと評論家の森本哲郎を挙げる。森本さんの著書で一番最初に出会ったのが「人間へのはるかな旅」であった。かさついていた心に水が潤っていくような気持ちになった。『旅』が森本さんの本を貫いているキーワードである。このブログのタイトルを『素浪人旅日記』にしたのも森本さんの影響があることは確か。
 『思想の冒険家たち』のあとがきの一節が自分の足で歩き、既成の概念にとらわれずに思索を深めていく森本さんの姿勢を端的に表していると思う。この本は1980年前後、すなわち20世紀の世紀末を迎えつつある時に20世紀の証言を集めてみようという企画で月刊雑誌に連載されたものをまとめたものである。

《・・・しかし、証言というなら、「思想」こそが時代の何よりも忠実な証言ではなかろうか。「思想」とは人間の生きざまの正直な告白であるからだ。私はそのひとつひとつをあらためて読み返すことにより、自分の生きてきたこの世紀を考え直してみたかったのである。私は二十三人の証人をえらんだ。この二十三人の「思想の冒険家たち」がそれぞれに精魂をかたむけて二十世紀を語っているように思われたからである。

 「思想家」というなら、まして「思想の冒険家」というなら、まだほかにたくさんいるではないか、と思われるかもしれない。たしかに、たくさんいよう。百人あげても足りないほどである。そのなかから、なぜこの二十三人を取りあげたのかという理由は、きわめて単純な動機である。私が読み、多くの示唆を受け、そして、旅の途上で出会った、ということである。出会ったといっても、実際に会った~そういう人も何人かいるが~わけではない。彼らの「思想」にめぐりあったのだ。「思想」にめぐりあったというより「精神の風土」に接したというべきかもしれない。私はその風土を旅し、彼らの言葉に耳を傾けたのである。・・・》


 ジェイムズ・ジョイスに始まり、各国の思想家を巡り最後は日本である。その思想家としてえらばれたのが山本周五郎というのがわたしにとっては因果めいたものを感じた。私は周五郎の「日本士道記」に強い衝撃を受けたのがきっかけだが森本さんは雑誌「文芸春秋」に連載されていた「青べか物語」の一篇『人は何によって生くるか』によって山本周五郎と出会ったという。

《・・・私はこの一篇を読んで以来、『青べか物語』を、しまいまで毎号読み続けた。そしてそれが完結し、単行本として出版されるのを待ちかねて、この一冊を座右に置いた。以来、いつ読みかえしても、どの一篇を読み直しても、そのたびに私は新たな感動と深い思索に誘われるのだった。・・・》

 私は山本周五郎と森本さんの本をもう一度読み返してみたいと思った冬の夜になった。
コメント
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