退職した2009(平成21)年の6月にブログを始めた。知人から「辞めて何しているの?」とよく尋ねられたが、気ままな日々のことを短時間で言葉で伝えるのは至極難しかった。そこで、日常のごく一部ではあるが、やっていることや考えている事などをブログにアップしていけば少しはましな答になるのではと思ったのが一番の理由である。2009年の6月25日の原稿である。
「素浪人」=「失職して仕える主人のない武士を卑しめていう語。紛れもない浪人。無一物の浪人」(明鏡国語辞典)幼稚園に入園してから54年間、平日の朝に目覚めた時、行くべき所は必ずあった。この4月から、それらがまったく無くなった。劇作家であり歌人でもあった 寺山修司が「職業は?」と警察に問われ、「寺山修司をやっております」と答えた。という話を聞いた時、ストンと心に落ちる音がした。余計なものをすべてそぎ落とし、個人として、もう一度歩き始める。彼のように「私は私自身の記録である」と言えるようなものにしたい。
12年前の自分は、今では他人のように感じる。それから6年、2015(平成27)年11月23日まで色々なことを綴ってきたが、その日を境に更新をやめた。そのことで「体調でも崩したのか?」などと心配の声を多く寄せてもらったが、はっきりとした答えはしなかった。というよりはできなかったというのが本当のところであった。
そのあたりのことはこれから追々書いていこうと思っている。ブログから離れた6年は「もう一度しっかり生きてみよう」という思いが強かった。昨年の夏あたりで「自分が脱皮した」ということが実感できた。これがブログ再開のきっかけである。70歳になった今日を再スタートの日にしたのは区切りとして丁度良いとの直感である。この先不透明だが「心の声」に耳を傾けながらボチボチやっていこうと思っている。
「素浪人」=「失職して仕える主人のない武士を卑しめていう語。紛れもない浪人。無一物の浪人」(明鏡国語辞典)幼稚園に入園してから54年間、平日の朝に目覚めた時、行くべき所は必ずあった。この4月から、それらがまったく無くなった。劇作家であり歌人でもあった 寺山修司が「職業は?」と警察に問われ、「寺山修司をやっております」と答えた。という話を聞いた時、ストンと心に落ちる音がした。余計なものをすべてそぎ落とし、個人として、もう一度歩き始める。彼のように「私は私自身の記録である」と言えるようなものにしたい。
12年前の自分は、今では他人のように感じる。それから6年、2015(平成27)年11月23日まで色々なことを綴ってきたが、その日を境に更新をやめた。そのことで「体調でも崩したのか?」などと心配の声を多く寄せてもらったが、はっきりとした答えはしなかった。というよりはできなかったというのが本当のところであった。
そのあたりのことはこれから追々書いていこうと思っている。ブログから離れた6年は「もう一度しっかり生きてみよう」という思いが強かった。昨年の夏あたりで「自分が脱皮した」ということが実感できた。これがブログ再開のきっかけである。70歳になった今日を再スタートの日にしたのは区切りとして丁度良いとの直感である。この先不透明だが「心の声」に耳を傾けながらボチボチやっていこうと思っている。