昭和世代の悲しさか天皇誕生日がピンと来ない。小学校へ入学して以来30年余り慣れ親しんだ4月29日が、「みどりの日」から「昭和の日」へと上書きされず、いつまでも天皇誕生日で保存されている。
「2月23日は覚えにくいな」と朝食時にぼやいていたらテレビのニュースで「今日は語呂合わせで富士山の日です」というアナウンサーの声に「これだ!令和の天皇誕生日は富士山とセットにしておけばいい」と反応した。普通に考えれば令和の天皇は私より長生きするだろうから次はないとしておこう。
明治から令和までの天皇で、誕生日の存在がもっとも薄いのは大正の天皇の8月31日。在位が15年と短いのと明治天皇の崩御の日7月30日に近かったため祝い事を避けたことが関係している。
平成の天皇の誕生日12月23日は、存命中の皇位継承であったので上皇としてお暮しの間は、扱いについての議論はなく平日が続く。
天皇の誕生日を祝うことは、8世紀に「天長節」の名で行なわれたという記録がある。国の祝日「天長節」となったのは1873年(明治6年)のこと。1948年(昭和23年)に「天皇誕生日」となった。
皇居の一般参賀の様子をニュースで見ていると天皇信仰の健在ぶりに驚く。
「2月23日は覚えにくいな」と朝食時にぼやいていたらテレビのニュースで「今日は語呂合わせで富士山の日です」というアナウンサーの声に「これだ!令和の天皇誕生日は富士山とセットにしておけばいい」と反応した。普通に考えれば令和の天皇は私より長生きするだろうから次はないとしておこう。
明治から令和までの天皇で、誕生日の存在がもっとも薄いのは大正の天皇の8月31日。在位が15年と短いのと明治天皇の崩御の日7月30日に近かったため祝い事を避けたことが関係している。
平成の天皇の誕生日12月23日は、存命中の皇位継承であったので上皇としてお暮しの間は、扱いについての議論はなく平日が続く。
天皇の誕生日を祝うことは、8世紀に「天長節」の名で行なわれたという記録がある。国の祝日「天長節」となったのは1873年(明治6年)のこと。1948年(昭和23年)に「天皇誕生日」となった。
皇居の一般参賀の様子をニュースで見ていると天皇信仰の健在ぶりに驚く。