素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

片埜神社で鬼と会う

2024年02月04日 | 日記
 節分の昨日、NHKのニュースの中で、片埜神社が紹介されていた。「かたのじんじゃ」というキャスターの声に、妻が「エッ!交野にそんな神社あったかな?」とつぶやいた。「枚方にある神社やで」と言うと「楠葉の市民の森の近くの神社?」と重ねて聞いてきた。「あれは交野天神社で、テレビでやっているのは牧野駅の近くにある神社」と答えたが、馴染みがないみたいで「フ~ン」で終わった。

 枚方三中の校区で、家庭訪問の時など車を停めさせてもらったので私にとっては懐かしい神社である。ただ、現役中は余裕がなくて境内に入ることはなかった。テレビではちょっとユーモラスな大きな鬼の面と鬼が描かれた絵馬が紹介されていた。解説によると、豊臣秀吉が大坂城を築城した時に、ちょうど鬼門にあたる片埜神社を「鬼門封じの社」として定め、特別に庇護したことから鬼とまつわることになったそうだ。

 宮司さんによれば、ここの豆まきは「鬼を以て鬼を制する」という考えで鬼を排除しないで「福は内、鬼も内」と言うそうだ。境内にある鬼は「最強の鬼」ということか。

 懐かしさにサイクリングがてら立ち寄った。河内一の宮ということで、規模としては小さいが、朝廷から正式に認められた由緒ある神社である。片埜神社は、京都の「城南宮」、大阪・堺の「方違神社」に並ぶ「方除三社」の一社に当たる。
 

 重要文化財でひときわ目立つ朱塗りの本殿に祀られているのは、厄災の象徴「ヤマタノオロチ」を退治した「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)、学問の神様「菅原道真」(すがわらのみちざね)をはじめとする11柱。境内の紅白の梅の花は見頃だった。
     目当ての鬼の面は境内の右奥に鎮座していた。テレビで見たよりは小さく感じた。結構ユーモラスな感じがした。絵馬の鬼のほうが凄みがあった。
  

 片埜神社を後にして、旧国道1号線を八幡市に向かってひた走る。途中で新名神の淀川をまたぐ橋脚工事現場をえお通り抜けた。前に通った時は橋脚だけだったが、工事が進み橋桁が取り付けられてきて橋らしくなってきた。
御幸橋で対岸に渡り、淀川の堤防の道を枚方大橋に向かった。日曜日なので車も少なく、時速20km前後で快適に走った。

 枚方大橋を渡って、枚方市に入り定番の天野川沿いの道で我が家に戻った。50km近く走り16時45分に到着。久しぶりに長距離を無心に自転車をこいだのでスカッとした。
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