素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

夕方より雪景色となる元日

2015年01月01日 | 日記
 今朝、雨か雪を覚悟していたので陽の光を見て峠はすぎたと思った。強く吹いている風も昼からは弱まるだろうと勝手に判断して恒例の星田妙見宮への初詣は昼食後と決めた。「脱」のラストは、大晦日の夕方からの脱テレビ。視聴時間ゼロは初めてのことである。その分、天気情報は不足気味。

 家から星田妙見宮までは歩いて30分ほど。いつもは裏参道から入るが、今年は年賀状の返事を投函するため少し遠回りして表参道からにした。天気の方は予想が外れ寒風曇り空となってきた。こういう雰囲気に水仙の花はよく似合う。
 妙見宮の近くの家の畑で大きな柑橘系の果実を見つける。「ブンタン?」「ザボン?」と知っている名前を妻と言い合っていると「そこに書いてあるよ」と声がした。『ばんぺいゆ』と書いてある。声の主は畑のご主人であった。熊本県で作られているブンタンの一種で、柑橘類では最大の果実だそうだ。熊本県出身のご主人がふるさとへの思いから苗木を取り寄せて栽培しているという。2月ぐらいに完熟するとのこと。花も強い香りがあるので5月ぐらいに見に来てくださいとひとしきり話をした。故郷への誇りと愛着がひしひしと伝わってきた。
  妙見宮の参道に入る。鳥居や石柱を見ると建てられた年月日についつい目が行く。大正二年建之,人間で言えば102歳。それだけで愛おしく思ってしまう。家族連れが多く参拝に来ていた。表参道を避ける理由は218段の長い石段である。狭いうえに急なので息が切れる。
  社務所で今年の破魔矢を購入して最後の石段を登る。ここは改修されてずい分登りやすくなった。今年の新発見は参拝所の上に吊るされている道教方位の奉納された年。明治弐年とあった。 [造幣局設立。東京遷都。榎本武揚降伏、五稜郭開城。版籍奉還。官制改革。蝦夷を北海道と改称。フェントン『君が代』を作曲。] の頃だよと歴史手帳を開いて一人感じ入る。
 

 「のんびりしているとやばくない?」という声がした。遥かに見える北摂、天王山あたりは雪雲の気配。どうもそれがこちらに向かって来ている感じがする。星田神社のほうも写真だけは撮りたいという広報レポーターとしての仕事も兼ねている妻の希望もあったのでかなり遠回りをした分、スピードアップをして帰ってきた。運動不足の身にはちょうど良かった。勘は当たった。30分もすると白いものが降ってきてあれよあれよという間に景色は一変してしまった。
  なんか今年も波乱がありそう。 

  

 
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