N.Yさんのコメントに、オーストラリアに旅行した時、世界地図の見え方の違いに驚いたという話がありました。私は大学時代に高坂正堯(まさたか)氏の著書の中で同じような思いをしました。『日本辺境論』をきっかけに古ぼけた地球儀を持ち出して、あちらこちらから眺めていた時、一冊の本を思い出し、昨夜から並行して読み始めた。
1968年発行だから42年前に書かれ、20歳前後の時読んだと思う。『世界地図の中で考える』というタイトルで5つの部から成り立っている。その中で、第一部“タスマニアにて”というのが、すごく印象的で記憶に残り続けている。
京都大学で国際政治学を専攻していた高坂氏に、タスマニア大学から客員教授に来ないかという招待があり、5ヶ月ばかりタスマニア島で暮らし、考えたことが書かれてある。
タスマニア島はオーストラリアの南東端にある、北海道ぐらいの大きさの島である。ということもその時知った。その招待を引き受けた時、周りからは「なぜ?」という質問をされたということから話は始まっている。
1つは好奇心をそそられたためだが、他にタスマニア島の原住民の滅亡の話を子供の時に聞いて以来、タスマニア島という名前が記憶から離れなかったということも大きな理由だった。
『私はこのタスマニア土人の滅亡の話を小学校の三年生か四年生のときに聞いた。それは今日から見れば奇妙に見えるかも知れない。タスマニア土人の滅亡の話などは、現在、高校の教科書にものっていない小さな事件だからである。しかし、私が小学校に通ったのは太平洋戦争の間だった。正確に言えば私は国民学校に通ったのである。私が入学したとき、小学校は国民学校と改称され、私が卒業したとき、それは小学校という名前に戻された。
この国民学校の教育は当然戦時色を持っていた。日本の敵であるアメリカやイギリスは“鬼畜米英”と呼ばれたし、その悪行はくり返して教えられた。大東亜戦争は西欧の白色人種のアジア侵略を撃退するのだというイデオロギーにしたがって、イギリスの帝国主義の暗黒面も詳細に教えられた。イギリス人がタスマニア土人を絶滅したことは、そのもっとも典型的な行為として語られたのである。そして、ひとつの民族の絶滅というのは、きわめて劇的な話だから、私の頭にはっきりと焼きついたのである。』
このあたりは、内田さんの“学ぶちから”という話とつながっていると感じた部分である。高坂氏は、タスマニア島での5ヶ月の間に、タスマニアの原住民の滅亡についての考察をすすめ、本の中でふれているが、とてもおもしろかったし、もう一度読み返しても新鮮さは変わらない。
ただ、タスマニア土人滅亡の物語だけが、氏をタスマニア島に行かせたのではないということも述べている。
『私は南半球から地球を見上げたかったのである。われわれは北半球に住んでいる。われわれが地球と地球上にくり拡げられる人間の営みを見る目は、北半球からの見方である。南の端から地球のできごとを見るとどうなるのだろうか、私はそれを経験してみたかった。(中略)異なった土地の人が地理に対してどのように異なった見方をしているかを知ることも意義がある。それはわれわれに異なった地理的視野を教え、それによってわれわれの地理的視野を豊かにしてくれるからである。つまり、北からだけでなく、南から地球を見ることは意義のあることなのである。たとえば、あるオーストラリア人は日本のことを描いた彼の著書に“二階にある国”と題名をつけた。それは日本人には思い浮かばない名前だが、たしかにオーストラリアから見ると日本はそのように見えるかも知れない。』
この視点は、当時の私には「目から鱗が落ちる」という感じであった。できるだけ多くの視点を味わう必要がある。ということを学んだ本である。本からのメッセージは無意識の世界に沈み込んでいたが、あらためて読み直し、40年近く経験を重ねた自分の意識の世界で、もう一度味わってみたい。
1968年発行だから42年前に書かれ、20歳前後の時読んだと思う。『世界地図の中で考える』というタイトルで5つの部から成り立っている。その中で、第一部“タスマニアにて”というのが、すごく印象的で記憶に残り続けている。
京都大学で国際政治学を専攻していた高坂氏に、タスマニア大学から客員教授に来ないかという招待があり、5ヶ月ばかりタスマニア島で暮らし、考えたことが書かれてある。
タスマニア島はオーストラリアの南東端にある、北海道ぐらいの大きさの島である。ということもその時知った。その招待を引き受けた時、周りからは「なぜ?」という質問をされたということから話は始まっている。
1つは好奇心をそそられたためだが、他にタスマニア島の原住民の滅亡の話を子供の時に聞いて以来、タスマニア島という名前が記憶から離れなかったということも大きな理由だった。
『私はこのタスマニア土人の滅亡の話を小学校の三年生か四年生のときに聞いた。それは今日から見れば奇妙に見えるかも知れない。タスマニア土人の滅亡の話などは、現在、高校の教科書にものっていない小さな事件だからである。しかし、私が小学校に通ったのは太平洋戦争の間だった。正確に言えば私は国民学校に通ったのである。私が入学したとき、小学校は国民学校と改称され、私が卒業したとき、それは小学校という名前に戻された。
この国民学校の教育は当然戦時色を持っていた。日本の敵であるアメリカやイギリスは“鬼畜米英”と呼ばれたし、その悪行はくり返して教えられた。大東亜戦争は西欧の白色人種のアジア侵略を撃退するのだというイデオロギーにしたがって、イギリスの帝国主義の暗黒面も詳細に教えられた。イギリス人がタスマニア土人を絶滅したことは、そのもっとも典型的な行為として語られたのである。そして、ひとつの民族の絶滅というのは、きわめて劇的な話だから、私の頭にはっきりと焼きついたのである。』
このあたりは、内田さんの“学ぶちから”という話とつながっていると感じた部分である。高坂氏は、タスマニア島での5ヶ月の間に、タスマニアの原住民の滅亡についての考察をすすめ、本の中でふれているが、とてもおもしろかったし、もう一度読み返しても新鮮さは変わらない。
ただ、タスマニア土人滅亡の物語だけが、氏をタスマニア島に行かせたのではないということも述べている。
『私は南半球から地球を見上げたかったのである。われわれは北半球に住んでいる。われわれが地球と地球上にくり拡げられる人間の営みを見る目は、北半球からの見方である。南の端から地球のできごとを見るとどうなるのだろうか、私はそれを経験してみたかった。(中略)異なった土地の人が地理に対してどのように異なった見方をしているかを知ることも意義がある。それはわれわれに異なった地理的視野を教え、それによってわれわれの地理的視野を豊かにしてくれるからである。つまり、北からだけでなく、南から地球を見ることは意義のあることなのである。たとえば、あるオーストラリア人は日本のことを描いた彼の著書に“二階にある国”と題名をつけた。それは日本人には思い浮かばない名前だが、たしかにオーストラリアから見ると日本はそのように見えるかも知れない。』
この視点は、当時の私には「目から鱗が落ちる」という感じであった。できるだけ多くの視点を味わう必要がある。ということを学んだ本である。本からのメッセージは無意識の世界に沈み込んでいたが、あらためて読み直し、40年近く経験を重ねた自分の意識の世界で、もう一度味わってみたい。