素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

隣の猫

2012年08月25日 | 日記
 今の家に引越しをして隣の家に挨拶に行った時、真っ先に注意されたことは黒猫に気をつけろということである。道をはさんで向かいの家の猫なのだが、獰猛で近づくと噛みついてくるというのだ。この一帯を制圧し我が物顔で歩いている。「私のとこも二匹猫がいるのですが、おびえて外に出ませないとん。自分の家のようにこの門柱の上に座っていますから近づいたり、手を出したりしないで下さい。噛みつかれますから。大袈裟じゃありません。犠牲者は何人もいますから」「飼い主に言わないんですか?」と素朴な質問をするとさらに声をひそめて「飼ってるおばあさん。猫以上にむずかしいんですよ。さわらぬことです。」

 半信半疑であったが、二日後に隣の門の上で寝ている黒猫がいた。ためしに近づいてみるとすぐに戦闘モードになった。しばらくにらみあっていたがこちらに本気さがないと見たのか、門柱から下りて悠然と立ち去っていった。このあたりの猫は出合うと傷みつけられるのでなりをひそめている。

 3年ほどしてその黒猫が亡くなった。とたんに隣の二匹の猫がのびのびと動きまわるようになった。我が家の花壇をトイレだと思いしょっちゅう入り込んではふんをしていく。長年家にとじこもっていたせいかメタボであった。我が家では“タヌキねこ”と呼んで見つけると追っ払うという仁義なき戦いが始まった。一撃をと思うのだが逃げ足だけは速かった。外のポリバケツに魚の混じった生ごみを入れると夜中に体当たりをしてバケツを倒しふたをはずすという知恵もあり難儀した。ただ現場を見たことはなく憶測だけなのでどうしようもなかった。

 ある日ホームセンターで“のらねこ忌避剤”なるものを見つけ「これだ!」とばかり説明書も読まず家の周りに思い切りまいたが、10分後に大失敗であることがわかった。ネコの嫌がる臭いによってバリアを張るというのが忌避剤の基本。それは人間にとっても悪臭なのである。たちこめる悪臭にすっぽり覆われ窓を開けられない状態になってしまった。

 数年この闘いは続いたが二匹のうち一匹が亡くなると残った“たぬきネコ”の行動範囲が狭まった。2カ月に1回ぐらいの割合で仕事から帰ると車庫の車の下に座っていたりする程度である。そういう時は「オーまだ生きていたのか」と声をかけて追い払いの儀式をさせてもらう。どちらも本気ではなくなった。

 今年に入ってからは一度も姿を見ていない。もう死んだかもしれないなと言いながらネコと無縁の生活が続いていた。ところが今日の夕方、花に水をやっていると隣の門柱の上に子猫が二匹いるのが目に入った。最初に発した言葉が「ナヌー」であった。挨拶代わりに写真を撮った。二匹にとってはおそらく人生最初のカメラではなかろうか全身から警戒パワーを出していた。近づける所まで近づいてやれと寄っていった。約5mで黒いほうが逃げ出しさらに2歩寄ると茶色も逃げた。
  私のほうも長年の習性で攻撃的になってしまう。小さいうちに“隣はやばいぞ”と思わす作戦開始である。どういう経緯できた子猫だろうという疑問は残る。

 今日もジムのランニングマシーンで60分間走11kmを達成。2日だけあけての11kmは走力がついたことの証しである。今週結構詰めて体を絞ったのは明日から2泊3日で釧路・知床方面のツアーに参加するからである。解放の前には引き締める。何事もバランスが大切。 
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