脊柱管狭窄のため歩くことが億劫になった父の足の筋肉の減りようは目に見えてわかる。家の中での日常生活には支障ないが長い距離を歩くとなると苦労する。ただ、このままではいけないと思い始めたのか近くの医院で足の筋肉を鍛える簡単なリハビリを受けるようになった。家でもできるようなことだが、やはり地道なトレーニングだけに自分だけでするのは継続しないみたいで、雰囲気のある“場”が必要。前向きな姿勢になってきたことは喜ばしい。
盆には必ず生まれ育った浜島へ出向き、親戚や友人の家の仏壇に線香をあげに行っていた父であるが、今年は無理なので事情を説明しがてら代わりに線香をあげてきてほしいとたのまれた。
時代とともに変化してきたとはいっても三方海に囲まれた漁師町浜島の盆は独特の雰囲気がある。“板子一枚下は地獄”という言葉のあるように昔から“死”と常に隣り合わせに生きてきたためか盆の供養は大切にする。
実家の跡をとっている叔父も若い時漁船の海難事故で漂流し、九死に一生の経験をしている。私が生まれていない頃の出来事である。親戚を巡っての話題はどうしても昔話になる。私が物心ついてからのことはうっすらと記憶にあるが、それ以前のことは当然であるが全く未知の世界である。
私の父方の祖父でいえば、私の記憶にあるのは定年間近の頃に磯部で同居していた小学校1年生の時からである。2年間ほど一緒に暮したあと定年を迎えた祖父は浜島へ移り、私たちは鵜方へ引っ越した。3年後ぐらいに祖父は脳卒中で倒れ半身としゃべることが不自由になった。
たまたま話の流れの中で、その祖父の若かりし時の話を聞く機会が今回あった。私の記憶の中にある晩年の祖父の姿とは全く違う祖父がそこにはいた。星新一が「祖父・小金井良清の記」を書くために資料を集め、祖父の日記を読むことで感じ入ったことにつながったような気がした。
父の弟である叔父2人と久しぶりにゆっくりと話をすることもできた。私の生まれる以前のことで初めて聞くことが多くあった。これもまた帰省の楽しみではないかと思う。
盆には必ず生まれ育った浜島へ出向き、親戚や友人の家の仏壇に線香をあげに行っていた父であるが、今年は無理なので事情を説明しがてら代わりに線香をあげてきてほしいとたのまれた。
時代とともに変化してきたとはいっても三方海に囲まれた漁師町浜島の盆は独特の雰囲気がある。“板子一枚下は地獄”という言葉のあるように昔から“死”と常に隣り合わせに生きてきたためか盆の供養は大切にする。
実家の跡をとっている叔父も若い時漁船の海難事故で漂流し、九死に一生の経験をしている。私が生まれていない頃の出来事である。親戚を巡っての話題はどうしても昔話になる。私が物心ついてからのことはうっすらと記憶にあるが、それ以前のことは当然であるが全く未知の世界である。
私の父方の祖父でいえば、私の記憶にあるのは定年間近の頃に磯部で同居していた小学校1年生の時からである。2年間ほど一緒に暮したあと定年を迎えた祖父は浜島へ移り、私たちは鵜方へ引っ越した。3年後ぐらいに祖父は脳卒中で倒れ半身としゃべることが不自由になった。
たまたま話の流れの中で、その祖父の若かりし時の話を聞く機会が今回あった。私の記憶の中にある晩年の祖父の姿とは全く違う祖父がそこにはいた。星新一が「祖父・小金井良清の記」を書くために資料を集め、祖父の日記を読むことで感じ入ったことにつながったような気がした。
父の弟である叔父2人と久しぶりにゆっくりと話をすることもできた。私の生まれる以前のことで初めて聞くことが多くあった。これもまた帰省の楽しみではないかと思う。