shuの花日記

山や近所で見かけたお花をエピソードを添えて掲載しています。お花の説明は主にウィキペディア、花図鑑を参考にしています。

御嶽山に登りました その②

2019-09-21 10:14:27 | 山行・旅行
その①からの続きです。


黒沢口登山道の8.5合目は、標高では2700m付近になります。気圧も下がり呼吸も徐々に荒くなっていきます。この辺りからはペースを落としてゆっくり登ることを心掛けました。

登山道から右に目を向けると(方向は北)、乗鞍岳が目の前に聳え、その肩の右手に穂高連峰が見えます。肩の左に見えるのは笠ヶ岳でしょうか。早く山頂からの景色を観たいと気は焦りますが、ここはゆっくり登るしかありません。


9月目には石室山荘があります。この小屋は登山道の真上にあるので、登山者は小屋の中を通り抜けて山頂へ向かいます。




ここで休憩を取り、ザックからヘルメットを出して着用しました。ヘルメットの着用は万一の落石に備えるためです。先日、富士山でも落石により命を落とした方がありました。


石室山荘を出て二ノ池へ向かう道との分岐の辺りで早めの昼食を摂ることにしました。お腹が空いたのとゆっくり座って食事を摂りたいとの理由でした。持参したジャムパンとオレンジジュースの軽い食事でしたが、元気が戻ってきました。




ここから山頂は僅かな距離ですが、ガレ場が続くのでゆっくりと歩いて行きます。


山頂を目の前にして、シェルターが並んでいました。そして、その隣に5年前の噴火で亡くなられた方への慰霊碑がありました。
多くの方が、ここで手を合わせて行かれます。




5年前の噴火では63名の方が亡くなられました。噴火の爪痕は今でも残っていました。頂上へ向かう階段の手すりは曲がったままで、左右の一部はもがれた状態で残されていました。






御嶽山は宗教の山であると同時に、噴火を繰り返し多くの人の命を奪ってきています。
ここ最近でも噴火や山体崩壊が何度もありました。1979年の水蒸気噴火では怪我人が出ています。1984年には地震により山体崩壊が起こり、29名が亡くなっています。1991年、2007年にも水蒸気噴火がありました。そして、2014年9月27日の土曜日に水蒸気噴火で63名の方が亡くなられたのです。
私は5年前に御嶽山への登山を計画していました。仕事の都合でその土曜日の登山を諦め、翌日曜日に立山へ行くことに変更したのです。噴火のニュースを聞いたとき他人事とは思えませんでした。
あれから5年、ようやく御嶽山へ行くことができました。

さて、山頂には10時40分に着きました。


山頂の祠は新しく建て替えられたようです。


山頂からは北アルプス(飛騨山脈)、中央アルプス(木曽山脈)、南アルプス(赤石山脈)、富士山、八ヶ岳、白山などの山々が見渡せました。
先ずは、外輪山と一ノ池、遠く左に見えるのは白山です。


白山のアップです。左に繋がる別山尾根を歩いた際、御岳山が終始見えていたのを覚えています。


こちらは二ノ池とその奥に三ノ池乗越、その奥に黒く見える山塊は乗鞍岳です。




乗鞍岳の右には、槍ヶ岳と穂高連峰がきれいに見えます。左から槍ヶ岳、中岳、南岳、ジャンダルムと奥穂高岳、そして前穂高岳です。少し離れて常念岳もきれいに見えてます。


乗鞍岳の左の裾野の上には、傘の形をした笠ヶ岳、その右に剱岳と立山がうっすらと見えます。笠ヶ岳の左には大きな山容の薬師岳が見えます。


南東方向に目を転ずると、遠くに富士山が見えていました。手前の山は中央アルプスと南アルプスのはずですが、個々の山の名前が分からず残念でした。帰ってから調べると、遠くで薄く見える山々はいずれも南アルプスで、富士山の右が塩見岳、左には農鳥岳、間ノ岳、なだらかな山容が北岳で、その東のギザギザした形は仙丈ケ岳でした。一方、手前で色濃く見えるのは中央アルプスで、農鳥岳と間ノ岳の間に見える鋭いピークが宝剣岳で、その左が木曽駒ヶ岳のようでした。




お天気に恵まれた山行でしたが、木曽節に「夏でも寒い ヨイヨイヨイ」と謳われるようにかなり冷え込み、山頂付近は厚手の長袖と手袋が必要でした。

最後に登山道で観たお花をご覧いただきます。
先ずはイワギキョウ(岩桔梗、キキョウ科ホタルブクロ属の多年草)。8合目付近で固まって咲いていました。




ミヤマアキノキリンソウ(深山秋の麒麟草、キク科アキノキリンソウ属の多年草)。標高1800~1900m付近で観ましたが、それより上では見かけませんでした。


モミジカラマツ(紅葉落葉松草、紅葉唐松、キンポウゲ科モミジカラマツ属の宿根性多年草)。標高1900m付近で見かけました。近くで観た中では、この個体以外は花が終わっていました。


後はお花ではありませんが・・
シラタマノキ(白玉の木、ツツジ科の常緑小低木)。


ゴゼンタチバナ(御前橘、ミズキ科ミズキ属ゴゼンタチバナ亜属の多年草)。


ウラジロナナカマド(裏白七竃、バラ科ナナカマド属の落葉低木)。


下山もゆっくり歩き、13時50分に無事に黒沢口6合目に到着。木曽福島駅から5kmほど離れた「駒の湯」で疲れを癒し、心身ともにリラックスして千葉へ向かいました。
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御嶽山に登りました その①

2019-09-21 07:40:01 | 山行・旅行


御嶽山(御嶽、3067m、日本百名山、花の百名山)に登りました。

深田久弥氏は、著書「日本百名山」の中で御嶽山について次のように書いています。
「富士山、鳥海山、立山、石鎚山など、古くから宗教登山が盛んであったが、現在では一般登山の中に解消されている。信仰登山の組織と戒律と風俗を今でも濃厚に保っているのは、御嶽だけだろう」

御岳山には長野県側から3つ、岐阜県側から1つの古くからの登山道があります。その中で、今回選んだのは最も古く、また、信仰登山の色合いの強い黒沢口からの道でした。
現在は、6合目まで車で行くことができますが、運よく登山口へ車で向かう途中、2合目から朝陽を浴びた御嶽山が望めました。


威風堂々、何とも大きくて、神々しいお山です。日本3名山、あるいは日本3霊山から御嶽山が漏れたのは、この山が内陸深くにあり、都人の目に触れる機会が少なかったからでしょうか。

黒沢口6合目に6時過ぎに到着、身支度を整え用を足して6時30分に登山開始しました。


6合目から8合目までは、主に森の中を歩きます。登山道はよく整備が行き届いていて、安全で快適に歩けました。


歩き始めて50分で7合目に到着です。ここには山小屋(行場山荘)があり、また、ロープウェイ飯森駅からの道とここで合流します。








7合目から8合目までは1時間かけて登りました。8合目が近づくと高木はなくなり、ナナカマドが目立つようになりました。
8合目にも山小屋(女人堂)があります。この山小屋は御嶽山にある小屋の中で、もっとも古くからあるもので、明治初期に女人禁制が解かれるまでは、ここから上部への女性の立入りは禁じられていたそうです。


黒沢登山道の脇には数多くの石碑があり、登山口に至るまでの車道脇にも恐らく数千の石碑を見たように思います。御嶽山中にある石碑の数は2万を超えているとのことです。6合目登山道より上では御嶽山を望む8合目にまとまった数の石碑がありました。


8合目を越えると登山道はハイマツの中を進み、やがてハイマツも姿を消し、岩とガレ場の道となっていきます。
途中、山肩に下弦の月が沈むのを観たり、ジェット機が飛行機雲をたなびかせて山影に消えていくのを観たりして楽しみました。






8合目から9合目にかけての景色は雄大で、御岳山が最もきれいに見えるところではないかと思いました。


今回はここまでで、続きはその②でご覧いただきたく、よろしくお願いいたします。
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