この記事は『四阿山(あずまやさん)・根子岳(ねこだけ)お花見ハイキング(その②)』の続きです。
(地図をクリックすると大きくなります。)

中四阿を過ぎると、しばらくオオシラビソの間の道を歩き、やがて新旧二つの道標を見た。

地図を照らすと南へ進む道がここで分岐していた。
これまで観られなかったイワカガミ、マイヅルソウ、ゴゼンタチバナが観られるようになった。中でも岩の間に咲いていたゴゼンタチバナがきれいだった。
・イワカガミ(岩鏡、Schizocodon soldanelloides、イワウメ科イワカガミ属の多年草)

・マイヅルソウ(舞鶴草、Maianthemum dilatatum、キジカクシ科スズラン亜科マイヅルソウ属の多年草)

・ゴゼンタチバナ(御前橘、Cornus canadensis、ミズキ科ミズキ属ゴゼンタチバナ亜属の多年草)


分岐点の標高は2215mほどあり、既に根子岳(標高2207m)の高さを越えていた。眼下に根子岳の緩やかな尾根が見えていた。

さらに15分ほど歩くと根子岳との分岐に着いた。

分岐の近くにもたくさんの花が咲いていた。
・コケモモ(苔桃、Vaccinium vitis-idae、ツツジ科スノキ属の常緑小低木)


・ゴゼンタチバナ(御前橘、Cornus canadensis、ミズキ科ミズキ属ゴゼンタチバナ亜属の多年草)

・マイヅルソウ(舞鶴草、Maianthemum dilatatum、キジカクシ科スズラン亜科マイヅルソウ属の多年草)

・イワカガミ(岩鏡、Schizocodon soldanelloides、イワウメ科イワカガミ属の多年草)


ここまで来ると山頂は近い。
あとは深田久弥氏が言う「乳首のような頂上」に向けて「最後の一頑張り」をするだけだった。
5年前に来た時はこの辺りから雪が深くなり、ワカンを装着した。しかし夏道では木段になっているとは意外だった。
木段の途中に右への分岐があり、標柱が立っていた。登る際には見えたのは「植生復元作業をしています。木道から外れた所に踏み込まないで下さい」の表示だったが、下りの際に見ると「鳥居峠7.2km」と記されていた。
この道は「ぐんま県境稜線トレイル」に指定されている、100kmものロングトレイルの一部である。いずれ歩いてみたい道である。

さて最後の一頑張りを終えて、9時22分に四阿山の山頂に立った。
手前に信州祠、奥に上州祠の二つの祠があり、その間に山頂の標柱が立っていた。

四阿山の名前の由来だが、「日本百名山」には二つの由来が書かれている。
一つは「日本武尊が東征からの帰り、鳥居峠の上に立って東を振り返り、弟橘姫を偲んで「吾妻はや」と嘆かれた。そこで峠のすぐ北にそびえる山を吾妻山と名づけた、と言われる。(中略)上州の吾妻山は信州では四阿山と呼ばれる」。
もう一つは「山の形があずまや(四方の柱だけで、壁がなく、四方葺きおろし屋根の小屋。庭園などの休憩所とする)の屋根に似ているところから、その名が由来したと言われる」と書いている。
天候は下り坂で、先ほどまで見えたいた北アルプスはおろか、戸隠や志賀高原の山々すら見えなくなっていた。
山頂付近ではクロマメノキ、マイヅルソウ、イワカガミ、ツマトリソウが観られた。もう一つたくさん咲いていたのがこの花だった。
・セイヨウタンポポ(西洋蒲公英、、キク科タンポポ属の多年草)
総苞外片は色が淡く、つぼみの時に下方へ反り返る(在来タンポポ類では反り返らない)。

山頂に10分ほどいて、根子岳との分岐まで下って昼食を摂った。この日は保温水筒に入れてきたお湯をガスコンロで沸かして、カップ麺を食べた。
休んでいる間に何組かのハイカーが通過していったが、根子岳から登ってきた人は、概ね疲れた顔に見えた。
先に述べたように、根子岳との間には大隙間(大隙間爆裂火口)と言われる鞍部がある。ここから240mほど下り、170mほど登り直さなければならない。
さあ、頑張ろう。
四阿山(あずまやさん)・根子岳(ねこだけ)お花見ハイキング(その④)に続く。
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中四阿を過ぎると、しばらくオオシラビソの間の道を歩き、やがて新旧二つの道標を見た。


地図を照らすと南へ進む道がここで分岐していた。
これまで観られなかったイワカガミ、マイヅルソウ、ゴゼンタチバナが観られるようになった。中でも岩の間に咲いていたゴゼンタチバナがきれいだった。
・イワカガミ(岩鏡、Schizocodon soldanelloides、イワウメ科イワカガミ属の多年草)

・マイヅルソウ(舞鶴草、Maianthemum dilatatum、キジカクシ科スズラン亜科マイヅルソウ属の多年草)

・ゴゼンタチバナ(御前橘、Cornus canadensis、ミズキ科ミズキ属ゴゼンタチバナ亜属の多年草)


分岐点の標高は2215mほどあり、既に根子岳(標高2207m)の高さを越えていた。眼下に根子岳の緩やかな尾根が見えていた。

さらに15分ほど歩くと根子岳との分岐に着いた。


分岐の近くにもたくさんの花が咲いていた。
・コケモモ(苔桃、Vaccinium vitis-idae、ツツジ科スノキ属の常緑小低木)


・ゴゼンタチバナ(御前橘、Cornus canadensis、ミズキ科ミズキ属ゴゼンタチバナ亜属の多年草)

・マイヅルソウ(舞鶴草、Maianthemum dilatatum、キジカクシ科スズラン亜科マイヅルソウ属の多年草)

・イワカガミ(岩鏡、Schizocodon soldanelloides、イワウメ科イワカガミ属の多年草)


ここまで来ると山頂は近い。
あとは深田久弥氏が言う「乳首のような頂上」に向けて「最後の一頑張り」をするだけだった。
5年前に来た時はこの辺りから雪が深くなり、ワカンを装着した。しかし夏道では木段になっているとは意外だった。
木段の途中に右への分岐があり、標柱が立っていた。登る際には見えたのは「植生復元作業をしています。木道から外れた所に踏み込まないで下さい」の表示だったが、下りの際に見ると「鳥居峠7.2km」と記されていた。
この道は「ぐんま県境稜線トレイル」に指定されている、100kmものロングトレイルの一部である。いずれ歩いてみたい道である。


さて最後の一頑張りを終えて、9時22分に四阿山の山頂に立った。
手前に信州祠、奥に上州祠の二つの祠があり、その間に山頂の標柱が立っていた。


四阿山の名前の由来だが、「日本百名山」には二つの由来が書かれている。
一つは「日本武尊が東征からの帰り、鳥居峠の上に立って東を振り返り、弟橘姫を偲んで「吾妻はや」と嘆かれた。そこで峠のすぐ北にそびえる山を吾妻山と名づけた、と言われる。(中略)上州の吾妻山は信州では四阿山と呼ばれる」。
もう一つは「山の形があずまや(四方の柱だけで、壁がなく、四方葺きおろし屋根の小屋。庭園などの休憩所とする)の屋根に似ているところから、その名が由来したと言われる」と書いている。
天候は下り坂で、先ほどまで見えたいた北アルプスはおろか、戸隠や志賀高原の山々すら見えなくなっていた。
山頂付近ではクロマメノキ、マイヅルソウ、イワカガミ、ツマトリソウが観られた。もう一つたくさん咲いていたのがこの花だった。
・セイヨウタンポポ(西洋蒲公英、、キク科タンポポ属の多年草)
総苞外片は色が淡く、つぼみの時に下方へ反り返る(在来タンポポ類では反り返らない)。

山頂に10分ほどいて、根子岳との分岐まで下って昼食を摂った。この日は保温水筒に入れてきたお湯をガスコンロで沸かして、カップ麺を食べた。
休んでいる間に何組かのハイカーが通過していったが、根子岳から登ってきた人は、概ね疲れた顔に見えた。
先に述べたように、根子岳との間には大隙間(大隙間爆裂火口)と言われる鞍部がある。ここから240mほど下り、170mほど登り直さなければならない。
さあ、頑張ろう。
四阿山(あずまやさん)・根子岳(ねこだけ)お花見ハイキング(その④)に続く。