'ゆうゆう"と

 岩手の小さな街の山間から、自然やサッカーのこと、思うがままにゆうゆうと。話題を提供していきたいと思います。
 

競う

2010-10-20 19:50:23 | sinbou_san

朝の岩手山には、雲が覆う。もう少し、岩手山が聡明にならないかと思いつつも、仕事前の一時を楽しむ。ここに集まるのは、私だけではない。一回り違う先輩達が、携帯灰皿片手に持ち、時間を費やすのだ。

 昼になると、これまたスッキリ。すっかり秋の様相で、岩手山も大分赤みを帯びてきた。今年も登ることは諦めたが、来年は登りたいと思う意気込みだけは、年々募る一方です。先輩に負けず、ビール持参し飲みたいものですが、初登山では無理なのかも知れないと、体力だけは落ちる一方通行なのだ。
 岩手山初冠雪の声は聞こえてきませんが、いつしか登りたいですね。

年々、若人の元気がなく、昇進・出世でも諦めている子供達が多くなってきています。いつしか、親を越したい。友達より給料を多く貰いたい。そんな意識が少なくなってきています。競争することから、逃げる時代となってきました。逃げては、敗北や感謝の意味が受けいられないのではないかと思う。
「競う」とは、
互いに負けないように張り合う。競争する。「技(わざ)を競う」「高さを競う」

「争う」とは、
従わないであらそう。抵抗する。逆らう。「運命に争う」「権勢に争う」

負けずに言い返す。言いたてる。「言い争う」

同じようで違う。

最近の教育では、なぜか「競う」を「争う」として避けようとしますよね。
こどもは負けん気がとても強いです。だけど、「競う」が苦手なようです。
先生や保護者が「競う」を「争う」と勘違いしてるのでは?と思います。
「競う」は決して優劣をつけることではないはず。


切磋琢磨:【意味】 切磋琢磨とは、学問や道徳に努め励むこと。また、仲間同士で励まし競いあって向上すること。

【切磋琢磨の語源・由来】出典は中国最古の詩集『詩経』の「衛風(えいふう)・淇奥(きいく)」による。

「切」は骨や象牙を切ることで、「磋」はそれらを研ぐこと。

「琢」は玉や石を打ち叩いたくことで、「磨」は磨くことを意味する。

『詩経』ではこれらの語を用いて「切するが如く磋するが如く、琢するが如く磨するが如く」と、細工師の技工や完成した細工品に喩えて衛の武公をたたえたことから、切磋琢磨は学問や精神・人格を磨き、向上することを意味するようになった。

また、「切磋」のみや「琢磨」のみで用いることもある。

結局は、主体性がどこにあるかということ。競うは、自分・己自身になるはず。自分と争う人はいません。
互いに切磋琢磨し、自身に挑戦している人は、必ず伸びるしメンバーにも選考されるのではないでしょうか。
あくまでも、自分自身の闘いの場が試合となるはずです。

頑張って行きましょう。