'ゆうゆう"と

 岩手の小さな街の山間から、自然やサッカーのこと、思うがままにゆうゆうと。話題を提供していきたいと思います。
 

釜石東中引っ越し

2012-03-26 23:34:41 | sinbou_san

今日は鵜住居中の引っ越しとのボランティ情報だったが、今は釜石東中に統合されている。震災の影響で、釜石中で授業をしてきたようだが、本日は釜石東中仮校舎への引っ越し手伝いで、我家を6時頃出発。

 昨日の積雪を気にして幾分早めに出たが、グーグルで時間を調べると3時間。そんなにかかったかと不思議に思ったが。

 気温は0度だった。陸前高田のループ橋の路面は、凍ってはいないが靄が発生している。

 陸前矢作から竹駒までの大船渡線は寸断されたままで、復旧・復興の目途はたっていない。 

 竹駒から山沿いを横断しながら時折見える広田湾。

 釜石大観音は、足元まで行ったことがないが、幾多の困窮を見送ったことか。

 三陸道を飛ばしたせいか、2時間少しで到着。初めて駅に来た気もする。

 待合室にはいると、やはり駅蕎麦を食べたくなったが、ここは釜石。「釜石ラーメン」だと思い、おにぎり2個は食べたものの、ラーメンを食べてしまった。

 400円のラーメンでしたが、スープはまあまあ。麺が若干固かった気もするが、ボリューム的には満足できました。駅そばは、やはり雰囲気なのだ。

 釜石ボランティアセンター近くの横断幕。「屈せず・撓まぬ心で釜石の元気を発信」。ボランティア活動は、何も報酬を得ることもないが、一文字一文字で、逆に「勇気」をもらってしまうんだな。

 釜石ボランティアセンターは、思った以上に小さい、活気はありました。

 釜石駅を降りて、右手に歩き最初の交差点を右にありますが、駅構内は広いです。転車台もありました。

 最初に釜石中での運搬作業。色別した梱包を積み込む。

 この日は神奈川県川崎市のボランティア団体とPTAの協力。

 人数は多いが、段取りがうまくいっていない気もする。

 釜石から鵜住居釜石東中仮設校舎を目指して行きましたが、陸前高田にはない風景を目にする。津波の強弱で被害状況が同じ街でも大きく違うことに吃驚。
 国道45号線の景観も変ったが、何とか釜石東中に到着。

 トラックから梱包された荷物を降ろし、識別・番号別にキャリアに積み、仕分ける。

 中には、サッカー部のものもある。

 短時間だったが、汗が滲み出てきた。

 卒業贈呈品。釜石中から釜石東中へ。「進」

 何もしていませんが、新1年生のためになったかと自己満足。

 褒められるというより、自己達成による歓喜。 

 仮設のため、屋根からの水も、排水ができていなく地面に浸水させるだけでしたが、仮設の苦労は、これから表に出るでしょう。

 部活の荷物もありましたが。

 元気のいい校長先生?みたい?。でしたが、予定以上の仕事のはかどりに、思わず段取り8分。と思う。

 鵜住居交差点付近。

 鵜住居駅がありましたが。

 釜石は、所々に被災した跡が残っており、いまだに撤去工事が随所で行われていました。

 不思議なぐらいに、隣おビルは大丈夫なのに、一方は全壊。防波堤の影響が大きかったと思いますね。

 釜石ボランティアセンターの反対側に来て昼食を摂りましたがが、若い者達と一緒に食事するだけで、元気を感じてしまうんですね。

 昼食後、三陸道を南下し戻ってきましたが、瓦礫の山はシートで覆われ。 

 タンカーに積み込み処理するには、まだまだ時間がかかる気がしました。

サウナで汗をかきリフレッシュしましたが、震災復興はまだまだですね。

 贈る言葉

 頑張って行きましょう。