今日は、実家に結婚式の座席表の相談に行ってきましたが、相変わらず親父の頭は固かった。何ともならんですな。ずっとこの地域で過ごしてきたもので、最後は地域が一番なんです。悩んだときは山に行けと束稲山へ。遠くに見えるは、うっすらと室根山。先月に束稲山3市町絆事業で桜の木の植樹が報道されていたので、覗き見をしてきました。束稲森林愛護少年団。私が初代の団長だったかな。げいび渓の清掃もするんですよ。ただ、植樹参加者が少ないことと、放射線だけは気になりましたが。防護服など、これから揃えていく必要があると思います。
阿弖流為かモレか。ここから東北蝦夷を守ろうと、必死に中央と戦った戦士がいたんですね。
束稲山絆事業。ここに桜を植えましたよ。ここは、元平泉レストハウスがあったところで、その下にはスキー場があって、その下には牧地があってキャンプ場があって、ここまで小学校時代は歩いてきたものです。友達と話しながら来ると、意外に早く到着するものです。
植樹のひとつひとつ見て歩きました。ケーキ屋さんになりたい。
ふくしまにはやくかえれますように。
学校の先生になりたい。
はらまちにかえりたい
束稲山友好の絆 平泉世界遺産登録記念
家族が元気にくらせるように。なんかね、一本一本桜の植樹を見て歩きましたが、福島の影響がここまで来ているとは思っても見ませんでいしたね。ほんとに胸を打たれました。
東日本大震災は、防ぎようがない災害でした。しかし、原子力発電所放射線漏れの被災は人災ですね。起きたことはしょうがありませんが、繰り返さない事が私たちの使命ですね。
石碑は、旧国民宿舎平泉荘前にあります。
前沢区の街並みですが、普段練習している「いきいきスポーツランド」も右端に見えますね。
今日は、奥羽山脈が浮いて見えましたが、もっと天気が良ければ胆沢区が良く見えるんです。
岩手山も見えるはずですが、いつの日か写真に収めたいと思っています。六原の製紙工場の煙は見えました、岩手山は見えませんでしたね。
桜の季節はおわりましたが、かの西行法師も詠んだほど平安当時、春には 一山が薄桃色に見えたという桜の花の名所だったようです。
束稲山(たばしねやま 595.7m)は、
『ききもせず 束稲山の さくら花
よし野のほかに かかるべしとは』
前沢のサッカー少女のユニホームは、桜色にしようかな。
なんか、桜の植樹に一人ひとりの思いが重なり、涙感じます。時間があればまた来たいと思ってます。
荒井由実 あの日にかえりたい
はらまちに、ふくしまに帰したいですね。
原子力なんてなくても、過ごせる時代を創ることをみんなで考えて行きましょう。
頑張って行きましょう。