'ゆうゆう"と

 岩手の小さな街の山間から、自然やサッカーのこと、思うがままにゆうゆうと。話題を提供していきたいと思います。
 

誰のための

2013-01-12 23:46:58 | sinbou_san

 12日土曜日。今朝も6時30分には、自家用車を取りに駐車場まで。朝晩の冷え込みと共に、須川岳や焼石連峰の雪渓が映えて見える。今日も室内練習でしたが、テーマは「シュート」。横へドリブルしてからのシュートでしたが、回数を重ねていくうちに上手くなりまし。失点が少なくなり僅差の試合が増えてきたので、もうひとつレベルアップさせたいところ。

 さて、今年に入り大阪市立桜宮高バスケットボール部主将の体罰による自殺が報道され、痛ましい事件が発生したと思っています。指導者だけが悪いのではなく、学校教育関係者・親・OB含め全体の指導体制が今問われているのだと感じます。それは、大阪市だけの事ではありません。社会的な問題で、どこにもある話だと思います。

 「サカイク」では、少年サッカーコーチの体罰動画からコミュニケーションについて考えるというテーマで掲載されていますす。


 昔の指導者の心の根源にあるのが「指導現場に根付く戦後のスポーツ指導」なのです。

そもそも、このような指導が行われる背景には、戦後の学校教育が影響で、日本のスポーツの原点は、体育の延長線上にあると考えています。つまり、敗戦後の教育一環として行われてきたため、根性・精神論が未だに指導者から抜け切れない現実だということだと思います。

 スポ根などの漫画は、私も好きですが。泣きながらも全てを犠牲にして、練習に打ち込みひたすら努力を続ければ、いつか必ず大きな大会で勝利を掴める・成果を収めることが出来る。という物事の考え方が、悲惨な状況に追い詰めるんだと思います。これは、反抗できない世代へ一方的な圧しつけとして、現れる。 


 指導者としての実践から、それだけではダメだと気づき始めましたが。元巨人の桑田選手が体罰は勉強不足による安易な指導方法「自立妨げ成長の芽摘む」とも話していますが、私も共感します。
 
 結果は良きも悪きも必ず現れます。ただ大事なことは、誰のための指導か?ということだと思います。
今回は結果的に残念ながら、桜宮高校のために・教諭の実績ための指導だったのかと感じます。ホントに、指導者として、子供達のサッカーをつくるのが難しいですね。

 そういえば、一昨日子供が減り、我が家の一員として、娘ができました。これから、様々苦労・試練が待ち受けているとは思いますが、嬉しく思っています。子供達のために妻と一緒に新たな目標ができ、これからまた頑張ろうと元気・勇気が出来てきました。

 頑張って行きましょう。