陶子の心の窓

今日わたしの心の窓は開いていたかな?あなたはいかがでしたか?

静かに死ぬということは

2017-08-12 06:03:56 | 雑感
今朝の自己流エクササイズは、NHKの5分間番組の「ヨーコさんの言葉」(録画)を見ながらやりました。
第19話、佐野洋子さんが飼っていたネコ、「フネ」がガンになり、静かに「フツーに」死んでいった1か月のことを綴ったエッセイでした。

この頃様子が変と思ったのでしょうか、佐野さんは病院にフネを連れて行きます。そこでお医者さんから「ガンです」と宣告されるところからお話が始まりました。
フネは日々静かに死に向かう1ヶ月を過ごして、クエッと2度変な声を出して死にました。
その様子をそばで見続けていた佐野さんは、「フネは偉いな。人間だったら、私だったら苦痛にわめき苦しみ、がんを呪うだろう。」と思い、フネが死んだときも驚くより「私もフネのように死にたい。」と思い、「もしかしたら太古の人間はこんな風に死んでいったのではないだろうか」と結んでいます。

・・・そうでしょうか?
私は、もっとお祭り騒ぎだったのではと想像します。

「何かにとりつかれたのかもしれない。おはらいだ!」と昼夜火を焚いて呪文を唱えていたかもしれない。
あるいは「神様に一番強いものの心臓をおまつりすれば悪霊をおいはらってくれるかもしれん」と狩りに出かけたかもしれません。

今は医療が進んで、がんを宣告されても治すことができるようにもなりました。余命が短くても、誰しも死に向かって進んでいるのですから、どうやって残された日々を生きていくか決めるのも自分。
現在の方がずっと静かに死を迎えられるのでは、と思います。

子どものころ飼っていた犬や猫で寿命を全うして死んでいった場面を思い出すと、彼らはやっぱり静かに死んでいきました。
「お腹が痛い!」などと吠えたり、のたうちまわったりしていませんでした。
ただただ苦しいから静かにうずくまっていただけでしょう。ゴロという雑種犬は庭につないで飼っていたので、余計不憫でした。

私も佐野さん同様、静かに死にたいものです。
たとえ、がんだったとしても適切な治療を受け、痛み止めもあれば必要以上に苦しむことはないかもしれません。
佐野さんが静かに「フツーに」と表現しているのは心穏やかに、ということかもしれませんね。
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