陶子の心の窓

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子どもの名前の付け方

2017-08-20 06:49:56 | 
ロシア語のレッスンは「かでる2.7」という建物の会議室でやっているのですが、レッスンまでの時間は同じ建物内の北海道立女性プラザの図書スペースで過ごすことが多いです。一見すると何気ない図書館かと思いますが、ここには女性にまつわる図書がたくさんあります。「樋口一葉」とか「平塚雷鳥」などの背表紙がずらりと並び、妊娠・出産・子育て・更年期にかかわる本などもあります。

その中で私が気になったのは「家庭雑誌」。これはなんと、明治時代の雑誌です。不二出版から出ています。手に取ったケースのひとまとまりには明治36年4月~12月の各号が入っていました。
雑誌のタイトル「家庭雑誌」というくらいですから、家事に関することかと思いきや、そればかりでもありません。「お酒に対する私の考え方」とか「イソップ物語」などもあって、老若男女、家族のだれもがどこか一つくらいは興味を持ちそうな記事が盛り込まれています。
たとえば、子どもの名前の付け方についての小さなコラムもあります。明治時代はどんな考えで子供に名前を付けていたんでしょう?意外とかわいらしい名前があったりしますよね。
コラムは十数行と短いので全文を載せてみます。歴史的仮名遣いにワクワク。

「小供の名の附方」
小供を産んだ時、我家の先祖、又は父親などの名を一字なり二字なり貰って命名するのが、日本在来の家庭に其例を多く見た。
これは家と云ふ事を重んじた結果と、それから其人の品格名誉なぞをあやからうと云ふ心であらうが、明治の家庭では多少その命名法も変わってきた。
記者の知己の一人は此間可愛い女児のもうけたが、その父親が当年三十四であるから「みよ子」と附けた。これは年から割出したのである。又他の一人は初めて男児を産みそれに「以一」と命名したる理由を聞いてみると慓軽な話。即ち一番最初に自分の家庭を訪れたのであるから「イの一」即ち料理屋で用いる下駄札番号から考へ付いたのであった。


原文で使われていた字で現在使っていないもの、たとえば番号の「号」という字はへんが号でつくりが虎という字が使われていましたが、現在の漢字を使いました。雰囲気を味わっていただければ、と思います。

明治の人にはなかなかお茶目で洒落のきいた方がいたんですね。ただ、みよ子さんの場合は、子供が産まれた年ではなくて、父親の年齢というところや、料理屋の下駄札番号というのも、父親が呑み助さんだったのかな~なんて父親の存在が大きいですね。これも時代の香りです。
現代のキラキラネームも、後世の人から見るとその時代の名前ということになるのでしょうか。
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