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塩野七生『ロードス島攻防記』騎士道精神!!

2021-03-12 15:56:05 | 日記
イスラム世界の中でも大勢力を保ち
広大な領土と長期政権を誇ったオスマン帝国。
そんな600年史をサクッと学んだところで、
塩野七生『ロードス島攻防記』を読んだ次第です。

エーゲ海の小さな島、ロードス島。
そこを拠点に対イスラム活動をしていた聖ヨハネ騎士団と、
領土拡張イケイケ時代のオスマン帝国との攻防戦。

騎士団といえば、十字軍の落とし子である。

チュートン騎士団はプロシアに戻りゆるやかに自然消滅、
テンプル騎士団はフランス王の策略で1314年に壊滅
(フランス王は絶許な)、
唯一残った聖ヨハネ騎士団(病院騎士団)だけが西欧に戻らず、
キプロスの借家住まいを経て1310年、ロードス島へ移転しました。

で、1522年。
オスマン帝国のスルタン・スレイマンによる親征(侵攻)です。

塩野七生による西欧側視点から描いているので、
読みたてほやほやの小笠原弘幸のオスマン帝国史とは
解釈?描き方?がちょっと違うところもあって
そういう角度で読むのもおもしろいです。

表記も色々と違いますね。
小笠原視点では国名は「オスマン帝国」だけど、
塩野視点では「トルコ帝国(通称トルコ)」というのが最大の違い。
スルタンの表記も、
小笠原版の征服王メフメト2世は「マホメッド2世」、
文化政策に貢献したバヤズィト2世は「バヤゼット」、
冷酷王セリム1世、壮麗王・立法王スレイマン1世は、
ほぼそのまんまセリム・スレイマンと表記されています。

また、塩野先生曰く、1522年ロードス島攻防戦に先だって
1453年のコンスタンティノープル攻防戦で
トルコのマホメッド2世が大砲を活用したのが
エポックメイキングだったと。
軍事作戦的にも、築城技術的にも変革の端緒となったと言います。
ロードス島でも、対大砲を意識した城塞をせっせと工事しています。

余談ですけど、ほぼ同時代に生きたダ・ヴィンチも
大砲時代に即した城塞設計書(15世記末)を残しているとか。

キリスト教側の、生まれと教養に恵まれた騎士団に負けず劣らず
スレイマンの騎士道精神っぷりも凄い。
読んでいて「歴史ってたのしー!かっこいー!」ってなります。

ちなみに『ロードス島攻防記』の刊行は1985年。
『わが友マキアヴェッリ』が1987年。
どうやら塩野先生が愛するマキアヴェッリの準備期間中に
オラオラっと書いた作品のようです。
(そういう意味では後者よりこちらの作品の方がライトです。愛の差か?)
描かれている時代もほぼ同じなので併読すると面白い。
コメント
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