9月に来日されて、やわらかい歌声で、また日本に来たいと意欲満々でしたのに。
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フランスを代表するシャンソン歌手で日本でも人気を博したシャルル・アズナブールさんが亡くなった。94歳だった。「LE FIGARO」などフランスのメディアが一斉に報じた。
【写真】2017年8月 ハリウッドを訪れたアズナブールさん
アルメニア系移民の子としてパリに生まれ、80年以上の輝かしいキャリアで知られるフランスを代表する国民的歌手。17年にはハリウッドの「ウオーク・オブ・フェイム」入りを果たしている。
フィガロ紙によると、結婚歴は3回で6人の子供をもうけた。現在の妻とは50年以上の結婚生活になるという。
黒柳徹子は2006年、テレビ朝日「徹子の部屋」をパリで収録した際、同氏と対談を行い、「世界的なスターなのに普通に振る舞う姿がすてきでした」と感動していた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000148-jij-eurpシャルル・アズナブール氏死去=仏シャンソン歌手、9月に来日
パリ出身。アルメニア系の家系に生まれ、父はバリトン歌手、母は女優。幼少の頃から、父親が経営するレストランで舞台に立った。
1940年代前半、仏作曲家ピエール・ロッシュとデュオ「ロッシュとアズナブール」を結成。エディット・ピアフに才能を認められ、米国での公演旅行に同行し前座を務めた。50年代からソロとしての活動を本格化し、57年、パリでのコンサートで大成功を収める。68年の初来日公演で多くのファンを魅了した。亡くなる直前の9月にも日本で公演を行うなど、晩年も精力的な活動を続け、今後も世界各地でコンサートの予定が来年まで詰まっていた。
9月28日には、日本地図が描かれたジャンパーを着て仏テレビに出演。妻に引退を勧められたことを問われると「私はステージの上で生きていく」と答え、死ぬまで歌い続ける決意を語ったばかりだった。
制作活動でも才能を発揮し、60年代前半のシルビー・バルタンのヒット曲「アイドルを探せ」の歌詞や、映画「ノッティングヒルの恋人」(99年)に使われ再ヒットした「シー(She)」の楽曲などを手掛けた。俳優としても活躍し、60年にフランソワ・トリュフォー監督の「ピアニストを撃て」で主役のピアニストを演じた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000111-asahi-musi 94歳、2時間休憩なく渋谷公演 アズナブールさん死去
94歳で亡くなったフランスを代表するシャンソン歌手、シャルル・アズナブールさんは、今年9月17日夜、東京・渋谷のNHKホールで歌声を披露していた。約2時間、途中で休憩したり飲み物を口にしたりすることもなく、張りのある声で伸びやかに歌い続けた。後半になるにつれて声のつやが増し、手が時折震える以外は、年齢を全く感じさせなかった。