散歩者goo 

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昨日記150625木(大阪府立近つ飛鳥博物館・古代出雲と大和王権)

2015年06月26日 15時12分56秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
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昨日は午後から大阪府立近つ飛鳥博物館の「古代出雲とヤマト王権-神話の国の考古学-」を見に行った。
会期が6月28日なので、どうしても見ておきたくわざわざ見に行った。
この博物館は、大阪芸術大学から更に山奥に入った一須賀古墳群の中にあり、非常に自然豊かな博物館で、バスの終点から10分近く歩かねばならない。
近鉄南大阪線の貴志駅から30分に1本のバスの終点の阪南ネオポリスで降りて、更に山の中を10分近く歩くので、非常に不便で交通費もかさむ。
従って、面白い企画展をしているからと言って、すぐに行こうという気にはならない。
しかし散歩がてら気分転換に行くとするなら、ハイキング気分が手軽に味わえなかなかいい環境である。
何より、多くの手つかずの自然と、古墳群を見ることが出来る。
昨日行った時も、うぐいすが盛んにさえずっていた。
野鳥は多いのではないかと思われる。

展示品は、今まで大和や摂津・河内の弥生古墳時代の遺物を見慣れた見た者にとっては、新鮮な感じだった。
出雲は、考古学的には四隅突出型墳丘墓という独自の埋葬文化を持った地域で、北陸にも同じ文化圏が存在し、出雲の勢力の影響がうかがえる。
しかし丹波丹後には、大和の文化が入っている。
古事記の記載の多くが出雲神話に関連する記載である。
しかも邪馬台国の候補地の纏向遺跡のそばにある、最古の巨大前方後円墳の箸墓は古事記によると、大神神社・三輪山と関係し、その祭神は大国主神であり、出雲の神なのだ。
邪馬台国から、卑弥呼の没後、古墳時代に入った時にどのようなことがあったのか不明である。
文献学的には、10代の崇神天皇以後のことは、何らかの形で日本書紀の記述に反映されているのではないかという説を支持する研究者も多い。(無論、研究者は記紀の記述をうのみにしているわけではない。)
邪馬台国と大和王権とは、連続していないという説もあり、正確なことは分からない。
考古学的事実と、文献資料の記述が合った時、真実といえるのだろう。
(例えば、考古学的には、稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘のワカタケル大王の銘の存在から、その人物が21代天皇の雄略天皇の存在が間違いないであろうという学説が有力で、中国の歴史書に登場する倭王武ではないかといわれている。今のところ以前からの名称で言われる、応神天皇陵や仁徳天皇陵(誉田御廟山古墳及び大仙陵古墳)も、被葬者はほぼ間違いないであろうということを前提に話されことが多い。)
とにかく考古学的に様々な事実の資料は増加しているが、神話との関連性を埋めるものは、ほとんどない。
最近になって、出雲と大和王権との関係を、神社や遺跡や神話から類推する人も出ていて、例えば岩波新書では「出雲と大和」村井康彦といった本も出版している。
無論、この本は、考古学的なことをベースに書いているわけでないので、書いてあることをそのまま信じるわけには行かない。
近年、考古学的には、荒神谷遺跡や賀茂岩倉遺跡の銅剣・銅矛・銅鐸の発見により、出雲がほかの地域とはかなり違った特色を持つ地域であることを、改めて知った。
今回わざわざ博物館に行った理由は、考古学的な最新資料で、後期弥生時代及び邪馬台国から4世紀までの空白の時がどれだけ解明されつつあるのか、そして出雲と大和の関係はどうだったのか知りたかったのだ。
昨日はそうした最新情報を得るため、大量の図版や論文・エッセイが詰め込まれた展覧会カタログを購入した。
今後、時間をかけて、このカタログを読みたいと思う。
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