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昨日記170610土(現代美術が分からない。 図書返却 ジム・ランニング)

2017年06月11日 18時46分54秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  29.1  19.3   薄曇一時晴
午後から、中央図書館へ図書を返却し、何冊か新しい本を借りた。
以前は考古学・古代史の本を中心に借りていたが、今は哲学や文学系統を読みだした。
無論考古学古代史は今後も勉強する予定である。
しかし、ここ数年現代美術が今一つ分からなくなったのだ。
それに伴い、以前のように強い興味が持てなくなったのかもしれない。

美術史的にはいろいろな説明ができるし、評価しようと思えばそれなりの評価もできるし、作品の良しあしも見えてくるが、そうした体系そのものが、合っているかどうかという疑念を持っているのだ。
最近近現代哲学に触れて(以前から哲学や社会には興味を持ち、折に触れある程度教養程度の本は読でいた。)、現代思想が、美術にも影響しているらしいことを感じた。
例えば美術館の展覧会タイトルにも、現代哲学をやっている人には、明快すぎるタイトルを引用しているのも、そうした例であろう。
表現にしても、やたら存在論的なことをモチーフにする作品も多い。
例えば不確かさとか、現象学的なことを視覚に表現しようとしたりしている。
但し、作家が本当に現代思想に触れているかは、別の話だ。
私は、よく作家と話をするが、作品の内容について存在の不確かさとかいうコンセプトを言う割に、現代哲学関連の話に絡めて話をしていると、そうした文脈とは無関係に、感覚的に表現しているらしいことに気付いたりする。
それは、例えていうと、作品の中に英文を使った詩の表現をしているが、よく見ると全く韻を踏んでおらず、和風の英文詩?になっていたりするのと同じである。(単なる外国文化へのあこがれ又はもどき)
つまり表面的な流行のスタイルを踏襲しているだけで、本質をついていないのだ。
表面的な影響を受けて、それを別に形で新しい価値観なり表現を創造すれば、それで価値がると思うが。
現代哲学では、デカルト以来の認識論や存在論=現象学や実存主義と構造主義・記号論とその後のポストモダン・構造以後といった思想が、結論付けることなく併存し、それ以外の様々な思想も加わって、それぞれの主張を展開していて、芸術もその影響を受けている。
美術史上でも19世紀20世紀には、近現代思想の影響を受けた美術が、大きな影響を与えている。
トップレベルの芸術家(美術家のみならず文学・音楽も含む)は、実際そうした思想家・哲学者たちと交流し、時に哲学者兼芸術家であったりして、しっかりと思想を理解しているが、多くの一般的芸術家(ほとんど)はそうしたことには、ほとんど関心がなく、流行を取り入れる形でトップレベルの芸術家たちの創造した表現方法を取り込む作品が多くみられる。

現代美術が分からなくなってきた背景には、現代哲学も多様化していると同時に、コンピュータや科学が先行しすぎて、哲学や思想がついていっていないのかもしれない。
芸術もそのあおりを受けたのかもしれない。
現に現代美術の方向性が見えないとよく言われる。
とにかく、10年前には多少なりとも分かったつもりでいたのだが、今では現代美術に関しては、よくわからないというのが実情だ。
しかし、近年現代美術の持つ、何でもあり・ダダ的な既成概念の否定や、アクション行動、といった要素に注目し、芸術以外の分野や学術とのコラボで、新しい流れを作ろうという動きや応用は注目される。

さて、話を戻すが、中央図書館に行ったあと、淀屋橋に向かい、西天満の現代美術系ギャラリーを見て回った。
大阪の現代美術の中心地のひとつである西天満も、何となく活気が無くなってきたように感じているが、これは私の勝手な思い込みかもしれない。
というのは、私は例えば1週間展覧会をしていれば、その中のたった30分もその会場に居らず、それ以外の時間帯は見ていないのだから、そんな短い時間でその界隈が活気づいているとか、元気が無くなっているとか客観的に評価できるはずはないのだ。

西天満から帰宅途中地下鉄を一駅手前で織り30分程(多分2.6km程度)かけて、歩いて自宅に戻った。
今後とも、脚力と持久力強化のため、歩行する機会を積極的に増やすつもりだ。
最近積極的に歩いているおかげで、歩くときのふらつきも無くなり、1時間歩いてもしっかりと歩けるようになったし、歩いても疲れにくくなった。
ランニングのおかげで、50歳の頃から比較して、今のほうが歩いても疲れにくくなったが、歩行を積極的に始めてから、更に疲れにくくなった。
以前にも触れたが、普通の道を歩くときには路面に凸凹や傾きがあり、荷物も持っているので、ランニングで使う筋肉以外の体のバランスをとる体幹の筋肉やそれ以外の筋肉も鍛えられていいるようだ。
とにかく1時間歩いても、しっかりと速足で歩けるようになった。

しかし、帰宅後多少疲れがあったが、あえてジムに行き、ランニングを行い、30分間走り、4.6km程走った。
疲労感は無かった。
脚力がついていることを実感した。


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昨日記170609金(ネットフリーズ 副食製造)

2017年06月11日 16時43分54秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低  28.2  17.4  晴後時々曇
ここ数日、ネットの調子が悪くなり、スムーズに動かなくなった。
特に昼頃gooブログで自選ブログの追加をしようとして、リンク処理の設定をしているとフリーズをしてしばらく動かなくなったりした。
その中には、今年5月に起きたサイバー攻撃に関する一文も追加していたが投稿するとフリーズし、追加した文はすべて消えていたので、思い出して書き直し数時間後投稿したがそこにはサイバー攻撃のことを書き入れるのを忘れていた。(今その問題があったことを思い出したので、次の段落に書いておく。)

そうした問題への対応の為、様々な設定を調べ、誤った設定になっている個所を見つけ修正した。
TWやFBで政権批判のコメントを多く出したり、このブログでは情報機関関連の記事を追加したりしていて、他者から妨害を受けやすいし、例えば情報機関からの妨害は防ぎようがない。(例ノートンセーフサーチ問題)(こうした問題は、初めは自分の被害妄想かと思ったが、ブログに起きている事実を詳細に書き留め、ブログのみならず、ツイッターにも公表したおかげで、妨害は解除された。
それ以降、そうした不審な事例に出合うと積極的に公表するようにしている。例えば「OneNote2016」に更新するとOffice15が現れ・・・もそうである。)
先日も自選ブログ集の中の情報機関関連の中で、2017年5月11日に起こった大世界規模のサイバー攻撃でバングラデシュ中央銀行のお金が抜きとられ、それ以外も日本や英国はじめ多くの国で攻撃を受けたが、マスコミによるとその発信元を推定したのは、シマンテック(ノートン)だけであり、同業他社からのそうした報告は聴かなかった。
同社は、国家レベルの高度な軍事的サイバー攻撃に対応するだけの組織と能力を持っているのだろう。当然米軍・情報機関関連とサイバー戦に関しての協力の可能性も想像したくなる。(こういうことを書くとまた何かされるかもしれないが。)

夕方からは、副食作りに追われた。
副食製造後、出来上がった副食に出汁を入れて電子レンジで20分間の過熱をセットしてから、自転車でファストフーズへ読書に出かけた。
これは、気分転換でもあり息抜きの一つでもある。


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