散歩者goo 

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最近の生活の乱れ

2017年07月08日 13時41分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
ここ数週間生活リズムが乱れだした。
健康を害しているわけではない。
精神的に落ち込んでいるわけでもない。
最近書いた内容や、読書の理解度をいても、知的に知らないうちに衰え始めているわけでもないと思っている。
しかしいつもこまめにつけている、予定日報表が数日間空白になり、穴埋め(その日の行動を思い出す。作業)に困ったりする。
昨日記も1週間近く更新しなかったりしていて、3日、月曜日の昨日記を書きかけたままになっている。

以前にも書いたことがあるが、サラリーマン時代は予定や約束はきっちり守る方だった。(守れなければ、会社組織から脱落する)
これは、技術者という職業柄刷り込まれたものでもある。
設計行程や納品期日は厳守が原則で、製造過程で様々なトラブルや設計ミスが発覚しても、そうした物をすべてクリアして完成させねばならない。(その先に、顧客がいる)
設計や検査や製造には、必ず工程表があって、それを守るために設計管理や工程管理の部門もある。
管理職時代は、部下の設計管理や開発工程の管理も行った。
当時は待ち合わせや会議でも遅刻厳禁で、5分前が原則だった。

ところが40代で語学留学した時に、南米や東南アジアやイスラム圏の人達の時間のルーズさを知った。
特に中南米では、仕事よりも、家庭・家族や恋愛を優先する。
その後、南米の民芸雑貨を収集した時に、メキシコやペルーやコロンビアに滞在した時、時間的ルーズさを許容するようになった。
時間的ルーズさどころか、約束すらルーズな場合も多く、たとえ親友や社会的に信用のある大学教授にお金を貸しても返金されないことが当たり前らしい。
それに似た被害をいくつも経験した。(30年前の体験なので、今は違うかもしれない。)

そうした意味では、40代以降アメリカ・中南米から帰国してからは、約束やお金にルーズになることはなかったが、時間には多少ルーズになった。
それでも、対外的には時間がルーズにならぬよう心掛けている。

しかし、時間的ルーズさの影響が他者に及ばない場合は、自分で予定を立てていても、ずるずるとずれ込むことが多い。
例えば午後2時から出席自由の催し物に出かける予定をしていても、TVで興味ある番組を見ていると出発が遅れ、挙句の果て、別にわざわざその催し物に参加しなくてもいいか、と自分で妥協してしまうのだ。
そんな感じが、最近強くなって、毎日記入している予定日報表や昨日記も、翌日まとめて書き込めばいいと思ってしまい、そうしたルーズな行動が続くようになったのだ。
今そのことに気付いているので、今から軌道修正したいと思っているが、さて実行できるのか自信は無い・・・・?
ただ、最近対外活動を縮小しようと考え、実行し始めた。
わざわざ案内状をもらっても、経済的理由もあるのだが、その催し物に行かなかったりし、毎週土曜日には、必ず出かけていた画廊回りも抜けることが多くなった。
即ち、社会との接触が少なくなったのだ。
その理由は、単にゆっくりしたい、摩擦を避けたいという要因が大きいように思う。(日常の食材の買い出しや調理にもかなりの時間を取られている。)
現在、肉体的、経済的疲労や破綻の兆しは無く、経済的には相対的貧困層の年金収入のみなので、限界はあるが、半年前と比べて何も変化はない。
結局、社会との接点を少なくすることで、精神的に縛りが無くなり、それに比例して生活がルーズになった可能性がある。
そういう意味では、逆に、今後様々な行事に積極的に参加し、社会的接点を増やし(同時に精神的刺激や緊張も増加する)精神的縛りを強くし、成行きでなく自律的に活動できるようにする必要があると考えている。
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