散歩者goo 

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暇つぶしで聞くつもりだったマタイ受難曲に心奪われた

2021年04月30日 12時58分39秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
昨日暇つぶしにフェイスブックを見ているうちに、参加している「バッハの曲を語らう会」のサイトをほとんど開いたことがないので、開いてみた。
その中で「マタイ受難曲」の記事が投稿されていたので画像をクリックすると、YouTubeにアクセスした。
YouTubeからログインを求められログインすると、「マタイ受難曲」の動画が始まった。
この時は、はじめだけ聞いて、「お気に入り」登録して暇なときに見るつもりでいた。
マタイ受難曲のCDやテープやNHKFMでの解説録音も持っていて何度も聞いていたが、今回見た動画の演奏が素晴らしく画像も美しかった。
その動画は全曲版で、YouTube投稿者により、歌詞に合わせ適切な日本語がつけられていた。

暇つぶしの軽い気持ちで見ていたのだが引き込まれ、椅子に座ってコンサートホールさながらの姿勢で、第1部と2部の間の休憩を入れ、2時間30分以上の曲を最終の第68曲まで視聴し、高揚した時間を過ごすことができた。
何より曲の合間に語られる伝道者(エヴァンゲリスト)の語りの訳や民衆の叫びも同時に表示され非常に理解しやすかった。
録音された音源を聴きながら解説を読む時とは比較にならないぐらい心揺さぶられた。
この曲は、ラジオドラマのようなものであり、意味と音楽が適切にリンクするのと、そうでない場合とでは感動の仕方に雲泥の差があることが分かった。

マタイ受難曲は、完全な宗教音楽になる。
新約聖書の「マタイによる福音書」のキリストの受難を題材にした受難曲である。
この中には、レオナルドダビンチの絵画でも有名な「最後の晩餐」の顛末も出てくるし、復活祭(イースター)のそもそもの原点の話でもあり、欧米人やキリスト教徒にとっては、核心の話でもある。
復活祭(イースター)は、キリストが十字架で張り付けにされ、3日後に復活したことを祝う祭りだ。
カトリック教圏で盛んなカーニバル(謝肉祭)は、復活祭(イースター)には心身を清める期間(四旬節)があるので、その前(40日前)に飲んで食べて遊ぼうというのが謝肉祭(カーニバル9ということらしい。
謝肉祭(カーニバル)は、ブラジル他各国で行われ伝統行事として観光化している。
この曲は、クラシック音楽の中でも常にトップクラスの名曲や美しい曲の一つに数えられることが多い。
ただ、全曲聴くには慣れないと、多少忍耐が必要でもあるが、数回聞くと多分いくつもの曲が馴染みの曲になると思う。
因みに、この < 対訳「マタイ受難曲」 全曲 > の演奏家たちは世界トップクラスの演奏家だ。
対訳「マタイ受難曲」 全曲

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