午前から午後にかけて副食作りを行った。
副食づくりが一段落してから、遅い昼食をとった。
昼食後すぐにメトロ御堂筋線の西中島南方へ行った。
木川小学校の東側にある海月文庫という、古書店兼ギャラリーで開催されている、梅谷脩展「あわせがら」を見に行くためだ。
ギャラリーには、梅谷氏もおられ、作品を見ながら話をした。
梅谷氏とは、私がギャラリーをしていた時(1990年から2000年)に塔本賢一さんご一家の展覧会に来られて以来のお付き合いだ。
梅谷さんは自宅でも、不定期にギャラリーをされ、塔本さんご一家の展覧会もされている。
同時に、梅谷さん自身現代美術作家でもある。
今回は、一昨年亡くなられ、世界的に活躍されていた(各国の美術館や画廊に招待され展覧会。グッケンハイム美術館や北欧の国立美術館でも展覧会やパフォーマンスも行う。)元具体美術協会の会員の堀尾貞治さんの、展覧会の案内はがきを使い作成した窓付きの小さな作品を、規則正しく配置し壁いっぱいに展示した作品のインスタレーション的展覧会だった。
その迫力に圧倒された。
そもそも、堀尾さんは1年中どこかで展覧会を開いているといわれるほど、展覧会の回数は多く、国内外で展覧会を行っていた。
梅谷氏は、堀尾さんのすべて異なった案内はがきを集め、作品にした。
はがきを集めるだけでも大変な作業と思われる。
しかも、その作品群はギャラリーの壁を隙間なく異なった小品(=堀尾さんの案内はがきの一部を額縁形式の窓をつけて表現)で埋め尽くしていた。
梅谷氏の話を聞いているうちに、その顛末を一枚の手書き文書に書かれていたものを出され、読ませていただいた。
今回の展覧会は、氏の堀尾さんへの尊敬と追悼の念と、堀尾さんの芸術家としての活動がよく伝わる展覧会だった。
ギャラリーを出た後、メトロで地元の駅まで帰り、駅前に駐輪した自転車で、ファストフードに行き、読書した。
帰宅後は夜遅くまで、昼間の続きの副食作りに追われた。
副食づくりが一段落してから、遅い昼食をとった。
昼食後すぐにメトロ御堂筋線の西中島南方へ行った。
木川小学校の東側にある海月文庫という、古書店兼ギャラリーで開催されている、梅谷脩展「あわせがら」を見に行くためだ。
ギャラリーには、梅谷氏もおられ、作品を見ながら話をした。
梅谷氏とは、私がギャラリーをしていた時(1990年から2000年)に塔本賢一さんご一家の展覧会に来られて以来のお付き合いだ。
梅谷さんは自宅でも、不定期にギャラリーをされ、塔本さんご一家の展覧会もされている。
同時に、梅谷さん自身現代美術作家でもある。
今回は、一昨年亡くなられ、世界的に活躍されていた(各国の美術館や画廊に招待され展覧会。グッケンハイム美術館や北欧の国立美術館でも展覧会やパフォーマンスも行う。)元具体美術協会の会員の堀尾貞治さんの、展覧会の案内はがきを使い作成した窓付きの小さな作品を、規則正しく配置し壁いっぱいに展示した作品のインスタレーション的展覧会だった。
その迫力に圧倒された。
そもそも、堀尾さんは1年中どこかで展覧会を開いているといわれるほど、展覧会の回数は多く、国内外で展覧会を行っていた。
梅谷氏は、堀尾さんのすべて異なった案内はがきを集め、作品にした。
はがきを集めるだけでも大変な作業と思われる。
しかも、その作品群はギャラリーの壁を隙間なく異なった小品(=堀尾さんの案内はがきの一部を額縁形式の窓をつけて表現)で埋め尽くしていた。
梅谷氏の話を聞いているうちに、その顛末を一枚の手書き文書に書かれていたものを出され、読ませていただいた。
今回の展覧会は、氏の堀尾さんへの尊敬と追悼の念と、堀尾さんの芸術家としての活動がよく伝わる展覧会だった。
ギャラリーを出た後、メトロで地元の駅まで帰り、駅前に駐輪した自転車で、ファストフードに行き、読書した。
帰宅後は夜遅くまで、昼間の続きの副食作りに追われた。