散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記20210710 土(五輪や新型コロナの混乱)

2021年07月13日 22時30分12秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
南九州地方が、梅雨末期の大雨で、災害が発生する可能性があるとして、マスコミをにぎわしている。
五輪は無観客で大騒ぎになっている。
新型コロナは、東京は7月12日から8月22日までの緊急事態宣言を発出することを決定している。
感染力が強い変異型のデルタ型のコロナ株がだんだん津増加し、イギリス型から置き換わるとみられている。
さらにワクチンが不足する事態となり、自治体や接種予定の企業や学校や団体で、大混乱をきたしている。
それでも、東京の人流は増加している。
東京が、新型コロナの第5派に見舞われつつあるというのは、だれの目にも明らかだ。

そうした中で無観客のオリンピックが行われる。
パンデミック中にオリンピックが開催されるという、前代未聞の歴史的事態だ。
当初政府はオリンピックを一年延期し、人類がパンデミックに打ち勝った証としてのオリンピックということを公言していた。
さらに、飲食店の酒の提供を全面停止することになっているが、聞き入れない飲食店及び酒卸店に対し、政府から金融機関を通じて指導してもらうという通知が大きな批判を呼び、とりあえず金融機関への指導要請(融資停止)は、撤回された。
これは、飲食店や酒卸店に政府の方針に従わなければ、取り潰すということになる。
政府の非常に強権的姿勢が明らかになり、現在(7/13)内閣支持率はさらに低下した。
マスコミではこの問題を非常に大きく取り上げ批判し、政府は事態収拾に走り回り、次々と金融機関や酒卸店への要請の撤回に追われている。
今、日本は豪雨災害や新型コロナ関係やオリンピックで大混乱に陥っている。
ここ半月のあいだに、事態がどう動くか、予測がつかない。
この原因は、菅政権の無策(非科学的政権運営にありそうだ。

さて、私生活では、相変わらず食事関連家事(特に副食作り)に忙殺された。
コメント

「表現の不自由展」に関連してのSNSへのコメント

2021年07月13日 16時41分08秒 | 注目ニュース・短感(ニュースおよび短評・感想)
以下の一文は、SNSの投稿に、私がコメントしたものを読み直し、修正追加したものです。

好き嫌いを自由に表現することは大切だ。好きでないといって何も悪くない。同時にその意見に反論するのも当たり前のこと。何も悪くない。そういう自由こそ最も大切だ。嫌いなものは嫌いでいいが、この展覧会自体を否定し開催を妨害しようとすることは間違っている。     
というのは、あるグループが、この展覧会を数年前にそれを妨げるため、お金を使って知事をリコールする騒ぎにまで発展した暗いいきさつがある。お金や優越的地位を使って人の意見を妨害するのは、むろん憲法違反だし、右翼や左翼の原理主義者たちは、暴力やお金で、言論を黙らせようとしている。ヘイトクライムもその一つだ。
誰でも心の奥底に差別意識がある。しかしそれを理性的に考えた場合例えば男女差別、民族差別、人種差別、学歴差別、運動能力差別、吃音差別・・・・・・きりがないが、そうした差別意識を理性で抑えるのが大人の社会人の必須条件だ。
そういう意味で漫才では人を馬鹿にすることは、過去は許されたが、時代により世間の価値観が変化し、一部のステレオタイプの表現は許されなくなるだろう
表現の不自由展の根本には差別問題が隠されている。右翼の人は中国の人たちを馬鹿にしているが50年後は日本人が中国の人たちに馬鹿にされているかもしれない。そもそも奈良時代や古墳時代は、日本は中国朝鮮から見ると遅れた国野蛮な国とみられ、蔑視されていた。日本が中国朝鮮に優越的地位にあったのは、西欧文明を学んで取り入れ、その結果富国強兵で軍事力を強化した明治中期から第二次世界大戦までの間に過ぎない。江戸時代までは、日本はひたすら中国朝鮮からいろいろ学んできたのだ。今でも東アジアが、中国文化圏にあるのは間違いない。(漢字を使っている。家父長制の伝統があった。箸を使う・・・・)ただし、ハンチントンは「文明の衝突」で日本を中華文化圏とは違う独自の文化圏に挙げている。
差別主義者、愛国主義者は新自由主義者に多く、すべてが競争で、勝ったもの勝ち、早い者勝ちで何が悪いという考えで、自分や所属するグループの栄光にこだわる。他者への共感や思いやりがなく、同情や哀れみでなく、相手の立場に立った見方ができないように見える。
キング牧師が黒人差別に反対し、ガンジーが無抵抗の独立運動を起こし、白人社会の知的な人たちは、初めて相手の実態を知り、自分たちの誤りに気付いた。今やそのインドは社会混乱は存在するが、未来の大国になるだろう。GAFAのトップやその他世界的大企業のトップにインド人が就いている。200年前欧米列強から虐げられた中国は、今や世界第2位の大国となった。だからと言って、私は共産党独裁の中国を素晴らしいとは思っていない。しかしすでに中国は国家資本主義の道を走りだし、その政策は思想面を除き、新自由主義的で、独裁国家だ。独裁国家は個人の意向で大きく変化するので、危険と思う。
話が違う方向にそれたが、私はこの展覧会を見ていないが、展示内容の断片的に知っている。好きな作品も嫌いではないが、プロパガンダが強すぎて好きではない作品もある。芸術はプロパガンダの場合も多い。バッハの曲の多くは宗教音楽で100%キリストの栄光をたたえたものでプロパガンダだ。それと同様、反天皇制や逆に天皇賛美も表現として=芸術として否定してはいけないのであって、そういう表現=芸術としてみるべきと思う。ましてや不敬罪に当たるという発想は現代社会においては、噴飯ものだ。美しい日本も、他国から見れば、醜い日本かもしれない。価値観に、絶対やどれが正しいはない。価値観は主観そのものだ。文化人類学的に物事を考えれば、国粋主義のばかばかしさがわかるだろう。そもそも日本文化の背景の一つ神道の源流は米作文化、祭祀にありその源流は弥生時代にあり、米作・弥生時代の原点は朝鮮・中国にあるのは、考古学的事実である。
表現の不自由展には、差別意識が根底にあるが、差別意識は主観による思い込みでなんの根拠もない。
芸術は、感性や内面や主観の表現であり、だれでも自由に表現できる。
それを妨害することは許されない。
私は「表現の不自由展」の開催を支持する。

コメント