このところ、自分の所属する病棟では、もう、言葉には言い表せないくらいの「大変だー」な?出来事が頻繁に起こっています。
残念なことに、その原因は、スタッフ間のコミュニケーション不足。
治療やケアの方針は、通常、カンファレンスというフォーマルな場でいろいろ話し合われるのですが、今の病棟の状態はカンファレンス以外のインフォーマルな場でひそひそと話し合われ、愚痴の交し合い、誰かのせいにして、お互いが自分のことを振り返ることができていない状況です。
そんな状況で、ここ数か月、離職者も数人ありました。
とても残念なことです。
今の病棟の状態は、正直にいうと、「ぐっちゃぐっちゃ」。
もちろん、批判の対象には、ポンも含まれていました。
私は、看護部と言って看護師の元締めの部署に属しながらも緩和ケア病棟で活動していたので、スタッフからは「どうして、部署のスタッフでもない人から采配を受けないといけないのか…。」という批判を受けました。
看護部長からは、そのあたりの権限はいただいていたのですが、スタッフには届かなかったようです。
「感情」が、そう思わせたのだろうと思えました。
そして。
紆余曲折を経て、私は、緩和ケア病棟のスタッフを「部下」とすることを拝命いたしました。
本来、私の活動は一つの部署にとどまって行うというよりも、対象となる患者さんやその患者さんがいる部署を対象に幅広く活動を行えれば理想と思っていましたが、今の状況では致し方ないことです。
看護部長も断腸の思いで私のポジションを考えたということは、いやというほど、認識しています。
半ば、もう、自分のスペシャリストとしての立場を捨てて、普通のスタッフとして、担当する患者さんのケアのエネルギーを注ぐことをよしとしてもいいのではないかと思う自分もいました。
今も、それは変わりありません。
かつて、別のサイトで自分のブログをやっていたのですが(今は全く更新していません)、それを、今日、あらためて読み返してみました。
ああ。
あの時、私はとても苦しんでいた…。
ああ。
あの時、あの患者さんとの出会いは、今の私の礎になってるんだな…。
いろいろな思いがぶわーーーと溢れてきました。
こんな、自分としてはとても混沌とした環境に放り込まれたような思いに苛まれる今。
ぽっきり折れそうな自分を支えているものは何か?とあらためて考えてしまいます。
それは、やはり、緩和ケアをやることのつらさと苦しみと、それがやりがいになり、他者と自分との向き合いを続けながら、これといった答えはないからこそ、ずっと自分の行ってきたケアを振り返り続けることが大切だと教えてもらった「緩和ケア仲間」の存在かもしれない…。
もちろん、つらさ、苦しみ、やりがいを感じるには、患者さんや家族がいないとありえないことなので、患者さんや家族さんとの出会いにも感謝をしてもしきれないくらいの気持ちでいます。
今の苦しみが、無駄ではないと信じたい。
でも、苦しみの類を感じるのはどこの職場でも同じとしても、今の職場で感じる必要はないのではないか?と思えるくらいの理不尽さにも苛まれながら…。
私は現状を少しでも前向きにするために…。
大げさな言い方ですが。
この部署を「変える」ために。
へなちょこですが、本分である「チェンジエージェント」にならなければ、と思っています。