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いい年になると、「叱られる」という機会がなくなる気がします。
特に私は、職場で新人の頃、そしてまだまだ一人前と周囲の人からみてもらえない時代?には、それはそれは、相当なお叱りを受けたものです。
私自身、新人の時代には、決して、出来のいい看護師ではありませんでした。
たまたま、私の義姉が同じ職場に勤務していたということもあり、なぜか、うちの母親が私の仕事のことを知っていたりして…。
「あんたー、大丈夫?」なんて声をかけられたときにゃーーー。
とほほ。
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そんな時代は、誰しも経験しているはずですが、経験を積むに従って、いえ。年数を経るに従って、その時の気持ちというのは薄れていくのではないかと思うようになりました。
経験は、確かに、素晴らしい財産です。
そこから生まれてくる、教科書には載っていない感性や堪といったものは、その人だからこそ持っているともいえるものもあります。
そこんとこを、大切にしたい…。
そう思うのですが。
過去に苦労して得たものや、成功体験というものは、必ずしも「今」に役立つとは限らない。
そう思うことが多々あります。
こうすればうまくいく。
これは、こうすればなんとかなる。そういうものだ。
そんな思い込みは、自分が経験していないことや時代の流れにのった新しいことについていくことを阻むものではないかと思います。
特に、ベテランさんとなると、他人から意見をされるのがとても苦手なように思います。
決して、その人自身を攻撃しているのではなく、ケアの内容や患者さんにとってどうなのか?といったところから議論したいと思うのですが、ハナッから拗ねてしまって、お話にならないことが多々あります。
そして、意見をしたものがスケープゴートにされ、インフォーマルな場で、ひそひそと噂話が繰り広げられて…。
自分の耳に戻ってきたときには、自分が全く言葉にしていないことが言葉にされたなんて言われ…。
唖然としたことが何回もあります。
どーして。
患者さんの話はゆっくりと耳を傾けられるのに、同じスタッフ同士には耳を傾けられない?そう思うこともしばしば。
そこには、感情というものがいつもはびこっていて、自分にとって本当に必要なものを受け取ろうとすることを拒んでいるのだと思います。
意見をする方も、言葉を選んだり、タイミングを計ったり、配慮が必要だと思います。
特に、職責のある者は、言葉というものを慎重に選んだ方がいいのだと思います。
ただ。
私が言いたいのは…。
師匠というのは、「人」ではなくて、「道」だということ。
自分から学ぶ姿勢、謙虚な姿勢、自分以外の異なった考え方を否定的に捉えてしまうと勿体ないことが多い。
それに尽きます。
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