患者さんに教えられることって、本当に多々あります。
大原さん(仮称)は、50歳代の女性。がんが脊椎に転移してしまい、思うように動けない上、感染症にかかってしまい、下痢を繰り返していました。
食べたい。でも、食べると出る、でもでも、食べないわけにもいかない。
自分のことは何でも自分でやってきたという大原さんにとって、動くという自由を奪われてしまい、トイレにいけないということはとてつもない苦痛です。その上、おむつをつけることを余儀なくされます。そして、他者から下の世話を受けること。これはとてつもない苦痛の上塗りのような苦痛だと思います。
日中もそうですが、夜間になると、大原さんは看護師に対してとても気を遣われます。
「ごめんよー。汚いのに。」
「あー、もう、こんなん、最低。」
「すんません、すんません…。忙しいのに。」
1日に多いときは6~7回も下痢していらしたので、それはそれは、気を遣いっ放しといってもいいと思います。
看護師は大原さんのつらい気持ちを慮って、気を遣わなくていいんだよというメッセージを送り続けました。
私も、そのメッセージを送り続けました。
下痢がみられていた期間が長くなり、「ごめんよ、なんて、いらないよ。気を遣わなくていいよ。」のメッセージは、大原さんから看護師に思わぬメッセージを発信させました。
「看護師は、みんな、私からごめんよ、とか、気を遣う言葉を奪おうとしている!」
この大原さんのメッセージは、師長から間接的に耳にしました。
私の心境はというと…。
「がーーーーーーーん。」
看護師はみな、患者さんが遠慮せずに、いろいろなことを依頼したり、委ねられるように精一杯の配慮をしています。しかし、大原さんにはこの配慮は返って苦痛となってしまいました。
私は、2点のことを考えました。
1.「気を遣わなくていいよ」のメッセージを言語化して大原さんに伝えすぎていたこと。
言葉はそこそこに、言葉以外の態度で、精一杯「気を遣わなくていいよ」のメッセージを送るべきでした。思い遣りとは、過不足があってはなりません。今回のような言葉の多用は、大原さんにとって「ありがた迷惑」だったのです。
言葉以外の態度とは、大原さんがこうしてもらいたいと思うことを、大原さんが看護師に言葉で依頼する前に、先んじてやらせていただくといったことがあると思います。
2.大原さんの状況があまりにもつらいものだったので、そんな状況におかれながら、看護師に気を遣わなくてはならないことをつらく思っていたのは、実は、看護師の方だったこと。
大原さんのつらい状況を何とかしたいと思うあまり、言葉を多用することで、自分達は「何とかできている」という手ごたえのようなものを欲していたのではないかと考えました。
勿論、大原さんの気持ちが、万人に共通するものだとは思いません。「気を遣わなくていいよ」という言葉のメッセージがあるほうが安心する方もいらっしゃると思います。
今回のことで身に染みたのは、患者さんにもそこそこ、医療者に対して気を遣わせてあげることも、その人らしさとなる、ということでした。
ああ。またひとつ、教えられた。
ありがとう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます