実は、看護師をしていて、自分がかかわった患者さんすべてが記憶に残っているかというと、(何らかの形で想起できない限り)そうではありません。
が。
忘れられない患者さんというのは、必ず、ずっとずっと、自分の心に留まっているものだと思います。
おそらく、この患者さんは、私の心にずっとずっと留まり続けるだろうな、と思われる患者さんが、今日、亡くなられました。
今が働き盛りというお年の方でした。
今日の朝、出勤をして、助手さんから矢継ぎ早にこの患者さんの死を知らされて、すぐにお部屋に向かいました。
部屋には、これまで何度お話をさせていただいたかというご家族がいらっしゃいました。
とにかく、患者さんは、よくがんばられたということを伝えつつ、私は涙が止まりませんでした。
患者さんが横たわっている布団に、たくさん、たくさん、自分の涙が「ぼとっ!」と音を立てて落ちていきました。
私の涙の理由。
それは、その患者さんが亡くなられたからということだけではありませんでした。
そのことは、ご家族が知る由もなく…。
私の涙の理由は、自分の不甲斐なさと、患者さんへの申し訳なさと、そして考えると止め処もなく押し寄せてくる、患者さんとのやりとりの記憶と…、でした。
ある理由があって、私は何度もこの患者さんの部屋へ行くことを止めようと思いました。この患者さんの部屋へ行こうとすると、とてつもなく体が重くなって、足が向かない日も多々ありました。
患者さんの日々の情報を聞くと、心が「ぎりぎり」と痛んで、その場にいる自分を消したくなる時もありました。
しかし。なぜか、私の心の重たさとは裏腹に、私は患者さんの部屋に行く機会が与えられていました。
私は、もう、この患者さんのケアに携わらないほうがいい、そう思えることがありました。しかし、それにもかかわらず、患者さんが「ポンさんに会いたい」と言ってくださり、私をお部屋に引き寄せてくれた、患者さんの気持ちがありました。
これは、何か、私がどうともすることができないところで、自分の不甲斐なさを抱えつつも、この仕事を続けていきなさい、というどこからともなく聞こえてくる声のようでもありました。
実は、この患者さんの介入のことで、どうしても自分の心がうまく保てなくて、しばらく、体を休めていた期間がありました。
この患者さんがくれたメッセージって、本当のところは何なんだろう?
まだ、十分にわかっていない気がします。
思い出すと、涙が止まりません。
この患者さんに贈る言葉…。
大好きだったうどんを腹いっぱい食べてね。そして、本当に、ありがとう!
かかわりの中で、何とかしたいと思えば思うほどに、自分の無力さに打ちひしがれたり、空回りしたり・・
でも、緩和ケアの勉強をしていて、一番納得した言葉が「苦しんでいる人のそばにいることは苦しい。でもその人のそばにいること。逃げない事が大切」と言うことでした。それは、すべての事にも通じていると思います。足が向かなくても、何もいえなくてもそばにいれば、きっと何かが変わると思います。
うちのスタッフも、ある患者さんの事で、ずいぶん悩み泣いていましたが、今ではまた、元気に訪問回っています。これからも、頑張って、患者さんのそばに寄り添ってあげてくださいね。
時間があったら、めぐみ在宅クリニックの院長小澤竹俊先生の本も読んでみてくださいね。
コメント、ありがとうございました。
こぶた部屋の住人さまはじめ、こぶた部屋の住人さまと協働していらっしゃるスタッフの方々の思いがよく伝わって参りました。
患者さんのことを思えば思うほど、
悩んでしまうことが多いかと思います。
実は、患者さんの悩みを解消するよりも、一緒に悩むことが大切なんだとわかっていつつも、
「doing」を求めてしまう自分に気づくことが多々あります。
この患者さんは、先日、亡くなられました。
私は、ご遺族を訪問するつもりでおります。