緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

もしも。

2011-11-26 23:05:38 | 日々の「ケア」

 症状というのは、主観的なもの。
 確かに、つらそうだな、というものは、外見や画像でみえるには、みえる。
 だけど、客観的なものが示すものがその人にとっての、つらい症状のすべてではないことは、緩和ケアをやっていると容易くわかります。


 患者さんにとっての、症状のつらさ。
 その人が苦しんでいる症状そのものを、コピーしたかのように、100%そのままで、理解することは、その人ではない以上、無理なことだと思います。

 だからといって、理解できない、と諦めてしまうことは、ケアに携わる者にとっては、ご法度。



 今日、ふと、思いました。



 その人の、苦しい症状を。
 たとえば。
 10秒ルールで、そばにいる人が経験または体感できる何か、システムいや、人間の機能があれがいいのに…、と。


 経験または体感できるのは、感覚のこと。
 患者さんとそっくりそのまま経験してしまうと、10秒でもえらいことになる可能性があるから。


 
 さて。果たして、こんなシステムが人間にあるとして、経験したくない人もいるだろうに。
 その時には、経験させてもらう側が選択できるとして。
 

 
 そうしたら、今の医療や緩和ケアはもっと、もっと、患者さんのニーズにお応えすることができるのかしら…。



 おそらく。
 答えは、No!でしょうなー。
 



 自分が、相手が経験していることそのものを経験していなくても、相手のことを気遣って、または文献や先駆者さんたちがどう言っているのか、などをいろいろ加味して、相手の経験を理解しようとし続けることが大切だからでしょうなー。


 ひょっとしたら、患者さんの感覚そのものを、経験できても、残念な医療者なら、「そんなはずはない」と判断してしまうかもしれない…。


 子宮がんや卵巣がんの患者さんの気持ちは、男性には全く分からない。
 前立腺がんなどの患者さんの気持ちは、女性には全く分からない。

 そんなことはないはず…。




 私は、患者さんのつらさを、どんな感じだろう?と本気で同じ感覚に置かれてみたいと、個人的な興味範囲で思うことがあります。
 もちろん、それがないと、ケアできないということはありません。

 本当につらそうにしている、または、つらいと判断できるけど、ケロッとしている患者さんをみていると、同じ感覚をもらえないかな?と思うことがある…。


 
 あまりにも簡単に、自分以外の人のことを理解できることが、もともとの人間の機能に備わっていると、人間の他者に対する思いやりって、意味がなくなるのかもしれません。
 
 過不足なく、相手を思いやったりお手伝いをしたりすることは、本当は不可能かもしれません。

 でも、過不足があったら、もう一度考え直して、またやってみる。
 そんなやり取りが、医療または看護に必要とされているのだと思います。



 それが、対象が「人間」である、医療または看護の定めだと思います。


 

 


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