緩和ケアで行こう

へなちょこ緩和ケアナース?!のネガティブ傾向な日記です。

患者さんやご家族からのプレゼント

2012-11-10 10:35:40 | 触れ合ってくださる人々

 先日、更新した記事にでてきた患者さんのお通夜に行ってまいりました。


 どうしても気になって仕方なくて。


 旦那さんのことも気になり、ちゃんとお顔を拝見して少しでもいいから、声をかけたかったから…。



 葬儀場で待っている間、患者さんの遺影やら旦那さんの姿をみるだけで涙があふれて止まりませんでした。
 


 葬儀場に行くまでの間、行ってから、そのあと、そして今日。


 自分の心境によるところが大きいのですが、「お通夜に行くのは誰のため?自分のためじゃないの?」とひどく悩みました。
 患者さんと旦那さんには心からありがとうと伝えたかった。
 お世話をさせていただいた感謝の気持ちと、お疲れ様の気持ちと、そしてそして、旦那さんには体に気を付けてくださいねって気持ちと…、それからそれから…。

 とにかく、言葉だけじゃなくて、気持ちを伝えたかった。



 でも、それって、自分のためじゃないの?
 そればかり考えていました。



 自分の中では、あのお通夜が今の環境とのお別れであり、旅立ちであるように思えて仕方なかったからです。





 やっぱり、自分のためだったかなぁ。



 お手伝いすべき患者さんや、一緒にがんばるべきスタッフをそのままおいていってしまうような気持ちは、大した自分じゃないのにそんな気持ちになるなんて、傲慢かなぁ。
 
 こんな気持ちになるのは初めてではありません。
 以前、勤務していた職場でも、患者さんから「わしを置いていくんか」といわれたことがあります。
 その言葉はリップサービスだったのかもしれませんが、状況から考えるとそうではないと自分では思っています。



 
 もやもやもや…。


 
 もやりーん。
 


 自己満足のようで大変、患者さんやご家族には申し訳ないのですが、自分としては、お通夜に行かせていただいたことをとても感謝しています。
 

 
 いつもいつも思うのですが、患者さんやご家族ってのは、自分がその方々にどんな感情を持とうとも、何らかのプレゼントをくださるものなのですね。

 そのプレゼントは、自分の心の引き出しに入っていて、取り出したくもないのに手を伸ばせば取り出せるところにあって、触れるだけで痛い時もあるけれど、時間が経つと、自分の引き出しの中にいい感じでおさまったりするものなんだ、と。
 捨ててしまえと思っていたプレゼントでも、自分の記憶が残っている限り、そのプレゼントは捨てられることはなくて、ふっと思い出した時にそっと引き出しの中で「ちん」とおさまってくれていて、捨ててしまえと自分は思っていたにも関わらず、取り出すことを許してくれる。
 今の自分は過去の自分とは確実に変化していることは、そのプレゼントはとてもよくわかってくれているから、その時の自分に合わせてプレゼントの姿は変幻自在に変化してくれる。
 痛い時は痛いまま。温かい時は温かいまま。悲しい時は悲しいまま。嬉しい時は嬉しいまま。

 人と人とのお付き合いって、そんなものなのだろうなぁ。


 要は、自分次第ってことか…。


 
 自分よがりな心境ではありますが、このプレゼントは無駄にしたくない、そんな気持ちでいっぱいです。

 

 患者さんとご家族に心から感謝の気持ちを込めて。
 
 


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