songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

亡父、桜とアネモネ、春を思う…全くの私信から、今回も愚痴ってすみません

2016-04-09 22:11:30 | Weblog
いきなりの私信ですが…

この正月、父を亡くしました。
母を失って6年 昨年夏の終わりに入院してから衰弱の速度が上がっていて、「あるところで安定してくれれば」と願っていたのですが、大変悲しい結果となりました。

ずっと足腰が悪く、2年ぐらい前からは満足な歩行も難しくなっていました。しかし見かけや生活ぶりからは、足腰以外は健康に見えていたのです。
ところが1年ぐらい前からぐっと食欲が落ちてきました。
父は一人、私たちと離れて暮らしており、歩行の不自由さを心配してはいたものの自立面ではまだ大丈夫だろうと高をくくっておりました。

しかし何か月たっても食欲は戻らなかったようで、ついにトイレにも不自由するようになり、医者に行ったところ、意外にも主症状は「心不全」体内に膨大な量の水分を含んで圧迫しており、かなり危険な状態だったことが分かりました。
水を抜けば体調は回復するだろうと治療
いったんは楽になったように見えたのですが、その後は冒頭のような状態でした。

体調は急速に衰えていきました。脳梗塞まで起こしておきながら、幸い(?)認知症は起こさず、猛烈な痛みや吐き気などで苦しむこともありませんでした。
ただ、静かに静かに意識や意欲が細くなっていくのは確認できました。

父が最後に私に託したのは、9月ごろ。「庭にアネモネの球根を植えてほしい。あそこは俺と妻がようやく建てた家の庭で、毎年アネモネの花のきれいさを楽しんできたところだ。俺はこういう体で球根を買いに行けないから、頼む。」

その後もことあるごとにアネモネのことを私に聞くのでした。

年越しのころ、せっかちな早咲きが2輪ほどありました。
留守にしている父の家で咲いたアネモネ。家のことを心配しているに違いない父のために、この花と庭、家の中の様子などを動画に取り、ついでに元日の朝郵便受けに入っていた年賀状も持って病院に行き、父に見せました。
父はもうほとんど発語も難しくなっていましたが、動画をじっくり眺め、年賀状を手に取り、ご機嫌な様子でした。

父はその晩、寝ている間に危篤状態となり、苦しんだかどうかも誰にも告げず、あっという間に息を引き取りました。


先週あたりから、この庭はアネモネ満開で、実に華やかで美しい状態になっています。そのほかこの庭には、チューリップ、水仙、桃の花が咲き、鮮やかな花の庭となっています。
全て亡き父母たちが植えてきたものたちで(アネモネ以外)父母には大変親不孝な私としましては、とても今後こんな庭は保てそうにありません。それでもできる範囲で管理していこうと思っています。




ここまでの文ならば普通なのですが ここからが私の蛇足です


私は父母の育てた庭の美しさを見ながら、安倍総理の「桜を見る会」のニュースを見ました。
そして、下世話にも、
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/5723380.html

この質疑を思い起こしてしまったのです。我ながら、品が悪いとは思いましたが。

どうして私たちは春の美しさを、桜にしか求めなくなってしまったのだろう?
どうして日本人は、こんなに美しい春を享受できないのだろう?
どうして春の歌は「桜」ばかりなのだろう?


親不孝な息子ながら、私は美しさを享受する自分自身の感性を信じて生きた父母を誇りに思っております。
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