いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

気にしちゃいけない(第17編)

2005年07月13日 08時21分49秒 | 娘のエッセイ
 朝起きて私が一番にすることは、体重測定である。そして、会社から帰って来
て最初にすることも、体重測定。ついでに、お風呂上りにすることも、これまた
体重測定なのだ。つまり、特別に忙しい時を除き、私は一日三回以上体重測定

をしていることになる。そしてその体重計の針が、たったひと目盛り右に動いた
か、左に動いたかで一喜一憂するわけである。

 笑ってはいけない。口にせずとも、女性の(特に十代・二十代の)多くは、それ
と同じようなことをしているのに違いない、と私は思っている。何故なら、女性雑
誌が「ダイエット特集」を掲載した時の、あの素早い売れ方がなによりも女の子

達の現実を物語っているではないか。また、あの雑誌のタイトルの付け方もうま
い。「クリスマスまでに3kg痩せる」とか、「水着が似合う身体になる」あるいは
「春までにカッコよく痩せる」など。ここで不思議なのは、「3」という数字が必ず

記事のどこかに登場することだ。そして女の子達は、面白いように簡単に「マイ
ナス3」の魔法にかかる。一体いつから3キロが、こんなに女の子の心を支配す
るようになってしまったのだろう?

 分からない。なぜか分からないが、気がついたら、体重計の針の動きが女性
の心の中に「どかん」と居座っていた。確かに太りすぎは不健康だし、あまり美
しくないかもしれない。でも、今の女の子達の痩せ願望はちょっとヘンだ。

だって「ダイエットしてる」ということが、ひとつのステイタスのようになってしまっ
ているからだ。だから、太っている子は標準に、標準の子は痩せぎみに、そして
痩せている子はガリガリに、とエスカレートしてしまった。なのに、ダイエットブー

ムのあとにマスコミが送り出したのはセクシー路線だ。
せっかく痩せたいというのに……なんと残酷な現実。

 今こそ、女性達は叫ばなければ。「もう、マスコミと体重計の針には振り回さ
れないぞ」と。

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 歌 (第16編)

2005年07月12日 08時55分58秒 | 娘のエッセイ
 今「一番嫌いなものは何?」と聞かれたら、私は迷わずに「カラオケ」と答え
る。理由は単純明快、歌が下手だからだ。きちんと歌を歌ったのは中学3年
生の音楽の時間が最後だった。

 そんな私にいきなり『銀恋』を歌えと言わても、到底無理な話なのだ!しかし  
不思議なことに世の男性達は、女性は歌が上手いもの、という妙な思い込み         
があるらしく、「音痴だから勘弁して下さいョ」という私の声など、ほろ酔い気

分の彼らに聞こえる筈もなく、つらーい思いを何度したことか。カラオケ大好き
人間は、絶対にわからないわね。
 
 今年の秋、社員旅行のバス内のことである。北海道を走行中、車内はビン
ゴゲームで沸いていた。
 「ビンゴー」

と叫び、なんと私が一等賞。賞品はなにかなぁとウキウキしている私の耳に、
その時悪魔のような声が聞こえてきた。

「では、十番の人から順にカラオケを歌ってくださーい」
「えー、嫌だ。絶対、歌わないわよ」という私に更にダブルパンチ。
「歌わないと賞品返すんだよ」

 えっ、えっ、えっと言いつつも、歌いましたよ私は。『別れても好きな人』を。
だって賞品ほしかったんだもの。ちょっと、卑しかったかな?あとでしっかり
言われたものね。

 「歌はつらくても、賞品がもらえてよかった?」
だと。うーん、タオルセットだったからどっこいどっこいね。

 しかし、しかしである。これほどカラオケが嫌いな私に、ある歌を歌って欲
しい、という男性が最近出現した。

 そう、そんな私に『大切なもの、それはあなたよ』と歌ってほしいという。
ならば歌ってあげようじゃないの。とヘアブラシを片手にCDにあわせて歌う。

ああ、私ってなんて可愛い女だったのだろうと、自己陶酔するのはほんの
一瞬。

 いくらけいこしてもヘタはヘタ。現実は、厳しいね。
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マニュアル(第15編)

2005年07月11日 09時00分52秒 | 娘のエッセイ
 パソコンの前に座って、30分間。画面は少しも動かない。
「ポイントって何のこと? 関数なんてわかんないよぉ。どうして、私がこんな
思いをしなくちゃいけないの!」

 そんな気持ちが頭の中で、ちびくろサンボのお話の虎たちのように、ぐるぐ
ると周り続ける。事務室の中を見渡しても、私を助けてくれそうな人はひとり
もいない。いや、違う。私以外に誰も人がいないのだ!

 「ああっどうしたらいいのよっ」と、叫びだしたい気持ちを抑えながら、パソコ
ンのマニュアルを睨み続ける。私の頭の中では、相変わらず虎が回り続けて
いる。

 今度は、この間聞いた、社長の奥さんの声が虎と化している。「私は教え
ないから。分からなかったらマニュアルを見て」。本当はその時、奥さんは
「聞いてこなけれだ教えないから」と言ったのだが、転職二ヶ月足らずの私

の頭には、「教えないから」と言うフレーズだけが、強烈に残ってしまってい
た。いくら、今までもコンピュターを扱っていたとは言え、私が使用していた
のは、医療事務の機械とCADだけ。ロータスなんて知らないのだ。

 結局、ポイントというのがカーソルのことだと分かるまで30分、関数の計
算式の入力方法が分かるまでに、プラス10分。

 分かってしまえば「な~んだ!」ということなのだが、私は生みの苦しみを
体験したような気がしてしまった。(ホントデス)

 ふーっ、と溜め息ひとつ。そして、マニュアルを放り出す。「どうして、マニュ
アルってわざと分かりにくく書いてあるんだろう?」

 どのパソコンのマニュアルもそうだ。そんな時、私はやさしい言葉を使って
自作のマニュアルを作っておく。そうすると、引き継ぎも楽チンだからだ。
今度も、独自のマニュアルを作成しておかなければ。

 だって自作のマニュアルは、いつか転職する日の為の、私にしかわから
ないワン・ステップでもあるからだ。
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駅 (第14編)

2005年07月09日 08時18分26秒 | 娘のエッセイ
 駅というのは、出会いと別れの場だ。そのせいか、そのゆきずりの中で、人の
本性が垣間見えたり、あたたかな触れ合いに出会えたりする。

 数年前のこと、私は夕方の通勤ラッシュ時に、○○駅で電車に乗ろうとした。
次の瞬間、ふっと身体が宙に浮いた。あろうことか、なんと私は、片足をすっぽり
と電車とホームとの隙間に突っ込んでしまっていた。

 何が起こったのか理解できないまま、私は両脇を見知らぬ男女に掴まれ、無
事ホームに引き上げられていた。

それも、年配者から「今時の…」とよく言われる若者達に、である。
 
 その時、私を助けてくれたり、心配して声をかけてくれた人の中に中高年はひと
りもいなかった。周りには中高年の方が多かったのに……。

「ああ、疲れた中年のオジサンは痴漢はしても、こういう時には手がでないのだな
ぁ~」と再認識した。
 
 見知らぬ人によく話し掛けられる私だが、先日は珍しく若い女性に話し掛けられ
た。電車内で私の隣に座った女性が、私の抱えている花をずっと見ていたのは知
っていた。 

 その日の私は、白い紅花とグリーンベルという珍しい花をもっていたからだ。電
車が△△駅に着いた時、がまんできぬ、というふうに声を掛けてきた。「これ、な
んて言う花ですか」。私は花の名前を教えてあげ、そのぷっくりと丸く膨らんだ花
にも触ってもらい、感触を楽しんでもらった。

 その時の彼女の嬉しそうな顔!

「こんな花、持って帰ったら子供が喜ぶでしょうね」と彼女は笑顔で言った。花好き
の彼女とは、もっと会話ができそうだったが、生憎私は降りなければならなか
った。挨拶をして、ホームをかけ降りる時、「彼女にグリーンベルを1本あげれば
良かった」と、ちらっと後悔した。

 それほど彼女の笑顔は魅力的だったのだ。とかく都会の駅は混雑していて人に
冷たいイメージがあるけれど、自分が拒否さえしなければ、こんな素敵な出会いも
あるんだよね。
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挨拶がわりの…(第13編)

2005年07月08日 08時18分13秒 | 娘のエッセイ
 先日のこと。私は家の近くのスーパーマーケットで、幼なじみのYちゃんに
似た女性を見かけた(Yちゃんは二人の子供の母親である)。

 さて、件の女性、Yちゃんに似てはいるものの、どう見ても四十代から五十代
にも見える風貌。私が声を掛けるか、掛けまいかと迷っていると、彼女の方か
ら声を掛けてきた。やっぱりそうだった。開口一番の彼女の言葉は「もう、すっ
かり中年オバサンになっちやった」。

 確かに、ぶくぶく(ピチピチではない)太った身体に、びろ~んとしたTシャツ。
ボトムはこれまたタブタブのモンペのようなウエスト部ゴム入りズボン。そのフ
ァションセンスは、まさに中年のお洒落じゃないオバサンそのもの。だけどね、
Yちゃんは、私よりたったひとつ年上なだけなのだ。思わず私は「自分から
『もう、すっかりオバサン』だなんて言い訳するくらいなら、もう少し努力したら
ら?」と言いそうになってしまった。

 どうして世の女性達の多くは、「年だから」とか「おばさんだから」という言葉
を言い訳に使うのだろうか。そしてそれよりも、何故世間の人々は初対面の
人に、挨拶がわりに年令を聞きたがるのだろうか。年令を教えた途端、自分
が相手の中の数少ないサンプルの中に分類されてしまうのかと思うと、正直
ウンザリする。

 そう思っていた矢先、私自身も無意識に相手に年令を聞いていることが多
いのに、ふと気がついた。なんだ、私もやっぱり日本の年令信仰に侵されて
いたのか…。年令は、その人の一部だし、女性に年令を聞くのは失礼なこと
だなんて、私は思っていない。

 でも「はじめまして。あなた、お幾つ?」
なんて挨拶は格好が悪い。また、それにモジモジしながら「もう、トシなのよ」
なんて答えるのも格好悪い。

 ああ、もっと爽やかな風のような、気持ちのいい挨拶がわりの台詞を使い
たいのに……。
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七夕に想う…娘を

2005年07月07日 10時48分03秒 | 娘のエッセイ
 長女が亡くなった二ヶ月後の平成12年7月7日、七夕の日。長女の弟(長男)
に第三子が誕生した。その誕生には、亡娘との不思議な関わりがあった。

 長男の嫁は流産の恐れから、S病院に入院した六日後に、手当てが難しい
からと○○か△△に所在する病院へ転院することになった。救急車の後に続

き着いた病院は、亡娘の実家に近い病院だった。後で確認したところ、移動中
にA病院の特別室一部屋が空いていることが確認され急遽変更になったもので、
入院三日目には、帝王切開により798㌘と超未熟児の「孫」が誕生した。

 順調に成育し普通分娩だったらS病院で誕生し、A病院とは全く関わりのない
ものだったが……。

 そのA病院は、私達の初めての子が産声を上げた地であり、その子が長女で
した。また、亡娘が角膜を提供し、それを受けたのもA病院だった。

 母親も順調に回復し、乳児を残して退院した。病室の入り口には、いつもドライ
フラワーが飾れているが退院の前日、孫の母親が入室していたその入口だけ
に、何故か生花の「トルコ桔梗」が飾られ、しかも、亡娘のエッセイにも登場する
ほどに娘の大好きな花だった。

 咄嗟に、「お姉ちゃんが赤ちゃんを見守っているから安心して退院していいよ」
との姉からのメッセージだと長男夫婦は感じ取ったと……。

 私達も、これはきっと「娘があの世から大丈夫だよと私達へ語りかけているの
かもしれない」と受け止めた。

 加えて、孫の誕生予定日は9月28日だったが、長女は9月23日にこのA病
院で生を受け、そして長女が眠る、ここはA病院を眼前に眺望できる場所にある。

 ところで、長女が入院中に小さなテーブルに向かって書いていたノートには、
入院し日からの治療内容が克明に、しかも確かな字で記されていた。それも入

院後の二ヶ月以降は空白となり……その後にポツンと一字? 力を振り絞って
書いたのでしょう。解読が難しい線のからんだだんごのような文字。これを読み

見たときに、あらためて、苦悩と苦しみに頑張っていた娘、そして脳裏に残る
あの病床での226日間にわたる娘の様々な姿が何時も思い起こされる。

 その娘に見守られていたのであろう孫も143日間の入院中には、「未熟児網
膜剥離」の症状で三度にわたる目の手術を受けたが、「情けは人の為ならず」と

でも言いましょうか亡娘の角膜提供行為が、弟の子にその力が与えられたのだ
と思いたくなるほどに、心配していた目もほぼ全治し、改めて、孫は、娘に守られ

たんだと実感し、亡娘と孫の不思議な繋がりを私達は今でも感じている。
 「うん」から「あ」へと時は流れ、そして受け継がれ、入院中には度々呼吸をす

ることを忘れたこともあった孫は、今は、「オメー、ばかやろうー」などとと言いなが
ら兄弟4人のなかで暴れまわっている。







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ワインのある風景 (第12編)

2005年07月07日 09時08分35秒 | 娘のエッセイ
 夕食を楽しむ人々で賑わっている、○○の小さなスペイン料理店。若いウェイ
ターがワインのコルクを抜き、味見を促すように私達んのテーブルの脇に立って
いる。

「ともちゃん、味見してよ」と私の目の前に座っているKさんが私に言った。
「えーっ、歳の順でKさんして下さいよ」「ともちゃんが、していいよ」「いやですよ
ぉ」
という押し問答の末、
「じゃ、いっか。味見しなくても」ということになり、やっとのことでふたつのグラス
につやつやした赤ワインが注がれるーー。

 格好悪いなぁ、実に……。ワインの味見をスマートに出来る男というのに、悲
しいかな私は出会ったことがない。若い男ならいざ知らず、前述のKさんは場数
も踏んでいそうな社長さんである。それなのにどうして?と思い、回りを見まわ
して、納得する。みんなどこかヘンなのだ。一番気になるのは、若い女の子達
の仕種。長い髪を片手で抑えつつフォークを握る。綺麗なテーブルクロスの上に
髪がしょっちゅう垂れる。「うわっ、汚い」。いくら毎日シャンプーしていようと、食
事中に髪に触るのはマナー違反だ。それに食事を楽しむということが前もってわ
かっているのなら、きちんと髪をまとめてくるべき。しかもこういう輩に限って「わ
たしィ、ワインなら××がいいの」などとのたまってくれる。そのワインのラベル
を横目で見ながら「こいつ、本当に味がわかってんのかね?」などと思う私って、
やっぱりヤナ奴?!

 それにしてもこんな女達に比べれば、ワインの味見がスマートでないKさんな
んてかわいいもの。その上「実は白より赤のほうが好きなんだ」なんて、ポロッ
と言う控え目さ。

 たぶんワインというのは、男と女が妙な気をまわすことなくふたりで楽しめる、
とてもオシャレなお酒なのだ。
 ちなみに、Kさんと私はあくまでも清い仲である。念のため……。

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やせて美しく…?(第11編)

2005年07月06日 14時43分09秒 | 娘のエッセイ
 医療関係の学校を卒業し、病院の受付、CADオペレーターという経路を辿った
私の新しい職場は、歯の技巧所となった。

 そこで私は、歯科医院から受け取ってきた歯型を見ながら、「これはCr(クラウ
ン)がひとつにIn(インフレ)がひとつ、それから模型料が半側」などといいながら、
コンピュータにデータを入力するのだ。その時には、当然歯型を手に取る。始め
はそのことについてなんとも感じなかったのだが、ある日ふと思ってしまった。
「これって、人の口の中に入ったものなんだよね。うっ、ばっちい」。私は思わ
ず身ぶるいをした。特に、歯型が湿っていたりしたときは、リアリティーがあって
一瞬言いようのない気分。

 ところが、慣れというものはどこにでも存在するらしく、今は歯型を眺めながら
食事をしても平気になってしまった。けれどその代わり、今度はその歯型たちの
歯並びの悪さが気になって仕方がない。「こんな歯並びで恥ずかしくないんだろ
うか?」などと、余計なお世話的発想をついしてしまう。

 海の向こうの国では、歯並びはその家の階級(クラス)を表すという。だから、
子供達の多くは銀色の矯正装置をつけられることになる。

 笑った時に、白い歯がキラッではなく、矯正装置がキラッというのは、多少、い
や、かなり格好悪いが、長い人生である。矯正中の数年間など微々たるものだ。

 最近は、日本でも歯列矯正が一般的になった。矯正の器具も銀色の他に透明
のもや白色のものもあり、目立たないようになってきた。かくいう私自身も矯正の
経験者である。矯正の結果、歯並びは良くなったが、食べ物を異常に細かく処理
してから食べるという当時の癖が直らずに、今もそれが続いている。

 だから、痩せたい人には矯正がお勧めだ。何故なら、痛いので食欲は減退し、
食後にする三十分間の歯磨きの面倒臭さは、間食の誘惑にも勝てる。矯正ーー
それは体形の矯正にも通じる。まさに一石二鳥の治療なのである。



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ストレス解消には…(第10編)

2005年07月05日 09時03分06秒 | 娘のエッセイ
 ずいぶん前のことだと思うが、『中年になって自殺するのは、圧倒的に男性
が多い』という文を見た記憶がある。これはやはり、男のほうが女よりもストレ
スに押し潰されやすいということなのだろうか。それとも、女が単にストレス解
消法がうまいだけなのか?

 ストレス解消というと、殿方はまずアルコールを思い浮かべるだろうが(一部
の男性は風俗を思い浮かべるかもしれない)、女性は違う。もちろん、お酒で
すべてを忘れるのもいいが、大抵の女性はストレス解消法のひとつに、『食べ
る』か『買う』のいずれかの項目を入れている。その昔、あるコマーシャルで真
夜中に「いなりずしが食べたーい」と叫んだ女性がいたが、それくらい女性は
食に対して貪欲であったりする。だから食べるという行為は、実に身近で安易
なストレス解消法となる。肥満の人に物を食べた時の気持ちをノートに記録さ
せたら、食べた原因が「なんとなくイライラして」とか「淋しくて」などというマイ
ナーな項目の羅列だったという。もっとも、ストレスは解消できても、結果が肥
満では、ちと悲しい。

 それでは、買い物の方法が適切だろうか?そうとも言い切れない。まず、先
立つものがなければ、それがまたストレスとなる。その上、たとえば洋服を買っ
たりしても、あとで考えれば自分の手持ちの服にあわないとか、派手すぎて着
られない、などということも多い。

 それでも、私は『買い』を実行する。しかしそれには鉄則がある。まず、絶対
に洋服は買わないこと。では何を買うかというと、一番いいのはランジェリー。
それも普段なら絶対に買わないような、うんと高価でお洒落なものがいい。他
には化粧品。これも高価なもの。

 それらを身につければ、ストレスは瞬間的にぶっ飛ぶ。だから肥満に直結す
る「食べる」よりも「買う」ほうが、ストレス解消には断然お得であり、お勧めの
方法なのである。
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やさしさって何?(第9編)

2005年07月04日 08時47分49秒 | 娘のエッセイ
 彼女、あるいは彼らにとって「本当に為になること」ってどういうことだろ
うか? と私は最近いつも考えている。彼女、彼らというのは、私の新しい
職場である障害者の地域作業所に来所してくるダウン症のKちゃんであり、
また私が毎土曜日にボランティアに行っているRというグループのメンバー
のことだ。そこには小学生から高校生まで居るが、みんな知的障害者である。

 例えばKちゃんの場合、現在、会話をすることは出来ない。けれど排泄や
食事、歌うこと、折り紙を折ること、そしてリハビリを兼ねた各種の作業する
ことなど、いろいろなことが可能だ。もちろんそれには十分な時間をかけ、
Kちゃんのペースに合わせることが必要不可欠な条件であるのだが……。

 今、Kちやんは29歳。お母さんは、彼女をさらに自立させようと思っている。
昼食のことも「一食ぐらい食べなくても、死にはしないから」とお母さんは言
い、自分から巾着袋を開けるまで、ほっておいてもかまわないと言う。でも実
際、お母さんはkちゃんを急がすし、私達も、つい、箸を持ちやすい場所に置
いてあげてしまったりする。所内には食事介助の必要な女の子がひとりいる。
その光景を羨ましそうに眺めているkちゃんに、すべて自力で……というの
は環境的にも困難そうだ。

 また、ボランティア先のRでは、中学生以上の子供達の抱きつき禁止、と
いう決まりがある。自閉症の子供達が多いRだが、そこの子供達は明るく、
口も達者で活発な子供が大勢いる。ただ、前述のKちやんも彼らも、とても
甘えん坊だ。その甘えをどこまで受け止め、許容し、そしてどこで突き放す
か、ということは、とても難しい判断であると思う。

 あるボランティアグループに5年近く在籍している23歳の女の子が言った。
「私、福祉とかって、よくわからないんだ。ただ子供が好きで、可愛いから
(ここに)来ている。だから抱っこもしちゃう」。やさしさの形は、たくさんある
よね……。



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このごろの私 (第8編)

2005年07月02日 17時28分24秒 | 娘のエッセイ
 私が25歳を過ぎてから、突然母の態度が変わった。それまでは「結婚なんて
早くしなくてもいいわよ」と言っていた母が、ふと気がつくと「早く結婚しなさい症
候群」にかかっていたのだ。あまりの突然の変化に「冗談じゃないわよ!!」と
思わず私は叫びたくなった。

 それって、それって、あんまりじゃない?昔、よく言っていたじゃない。「結婚な
んてしたい事をしてからでいい」と。あれは全部、ただの建前だったのね、それ
を信じて? 貯金などなにもせずに、若いうちは自分を磨かなくっちゃね、とアフ
たー5にせっせと学校に通い、仕事に燃え、燃え過ぎて身体をこわして会社を辞
めて、再就職した先でも、なんの因果か、またまたハードワークの専門職。「こん
な機械相手の毎日なんて、もう嫌だ!」と再び転職めざしてオベンキョウの毎日
を過ごしているというのに……

 しかし、よく考えてみれば、母の言い分というのは、「やりたい事を一通りやっ
て、25歳を過ぎたらさっさと結婚しなさい」ということだったのかもしれない。

 この間、夕食の支度をしていたら、母が私にエプロンをつけてくれた。そのあ
との言葉が傑作だった。「エプロン、よく似合っているわよ」つまり、遠回しに結
婚しなさいと言ったのだ。

 この話、後日友人に話したところ、彼女は苦笑しながら、「なんで、そんなに
結婚させたがるんだろうね」と、やはり、親の結婚しなさい攻撃が激しいという
話を聞かされた。

 まったくどこの親も同じね。と、妙齢の女ふたりの会話は深夜まで意気さか
んだった。

 私も9月で26歳になった。誕生日が過ぎてから、母は一番にこう言った。

「あんたも、もう26歳なんだから、ちゃんと考えなさい」と。そのうち「もう○○
歳だよ」という言い方になるのは必定。前途多難だな、こりゃ。

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「好き」と「嫌い」 (第7編)

2005年07月01日 13時53分55秒 | 娘のエッセイ
 「好き」と「嫌い」という言葉、言葉そのものの意味の他に、それぞれ気まま・
勝手差別・わかち、などの意味ももつ、くしくも両方とも女へん。その昔、好き
とか嫌いといった感情は女性特有のものだとおもわれていたのだろうか? い
や、女性特有というより、男性より女性の方がそういった感情を表面に出しや
すい、ということなのかもしれない。

 周りの男性達をみていてもそう思う。「社会」という荒波のなかでは、好きだ、
嫌いだなどといちいち言っていては、毎日を乗り切って過ごすことができない
のではないだろうか。

 確か、昔アニメの主題歌にもあったけ、♪男の子と違う女の子って 好きと嫌
いだけでフツウがないの~♪……。勝手気ままに好き嫌いを言い、「私だけは別
よ!」と他者との差別化をしたがるーーそれはまさに、若さを過剰に評価し、恐
れをしらな女の子達の日常ではないか? 女の子達は言う。「私のことが好き
なら××してよ」「私のこと、本当に好きなの?」エトセトラ、エトセトラ。
しかし、男の子達は、建前上そんなことは言えない。ああ、なんと不自由なこと
か。(まあ、最近は例外もいるが)

 そういえば最近のCMにこんなのがある。妻らしき女性が、一緒にお酒を飲ん
でいる男性に「好きって言ってみて」と言う。男性が言わないでいると女性は
拗ねる。そこで言う。「お前が、好きだ」。女性は嬉しそうに微笑む。なかなか、
面白い。でも、私だったら逆を作りたい。女性に「嫌いって言ってみて」と言わ
せる。女を目の前にして、嫌いのひと言を言えない男。そんな優しい空間を演
出してみたい、という気がする。

 もしかして、好きと嫌いというのは一枚の紙の表裏はなくて、一枚の紙を袋
とじにしたら裏表になってしまった、そんな状態なのではないか。閉じた所を
開ければ実は一枚の紙だったとか。そしてその紙を、女性は元々たくさん持つ
ているのかもしれない。
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アフター6の教室は… (第6編)

2005年06月30日 11時18分50秒 | 娘のエッセイ
 今ほど、その職業がメジャーではなかった頃のこと。私は、あるフラワーデザ                             イナーの学校に1年間通っていた。職業訓練校と名の付くだけのことはあって、                            その講義内容は結構ハードで、特に資格試験の直前の先生は赤鬼に突如返                             身し、
 「あなたは、コサージュだけは、上手に出来るのね」など、相当辛辣な言葉を
生徒に投げつけていた。そんな時、私達生徒は帰りに喫茶店に寄り、ケーキを
つつきながら
 「先生達って結構ひどいこと言うよね」
 「あれって、ひとり受かったら幾ら、とか学校からお金貰っているんじゃないの?」
と、不埒なこと言ったりすることで、ストレスを発散していたのだった。

 結局、私はある職業病にかかり、その道を断念したのだが、その代わりに、
以前から覚えたかった手話の勉強を始めることにした。毎回、生徒がペアで手
話の実践をする。黒板の前に立つのがあまり苦痛でなくなった頃には、仲の良
くなった女の子と組んだ時など、先生を手話のネタにさせて貰い、先生の苦笑

を誘ったりもした。この教室、何故か女性に可愛い子が多かったのが印象深い。
手話には全然関係ないことだけれども……

 そして、それと平行して、私はエッセイの講座で勉強を始めた。今、いつでも
私の中には、活字でいっぱいだ。何か嫌なことがあっても、それをネタにして
しまおう、というずうずうしさも幸いか不幸か身に付き、少しは落ち込みにも強
くなった。

 そんな私が、先日○○で偶然に、以前交際していた男性に会った。彼が言っ
た。「見違えたよ。年と共にいい女になっていくな」と。6年前、私に結婚を断られ
たことを、彼はとても悔しく思ったのだろうか?『年と共に』とは、それにしても素
敵な響き。その秘密は、多分積極的な向上心と好奇心にある。

 アフター6の教室は、それを私にくれる。本来の目的の他にオマケもある、正に
グッドな場所なのだ。
             
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おつかれさん (第5編)

2005年06月29日 08時44分26秒 | 娘のエッセイ
 「ムムッ、なんだ? これはー」
ある日、ふと鏡の中に発見してしまった……。それは、私の愛くるしい? 瞳の
下にいつの間にか巣食っていた、小憎らしいクマだったのである。

 こりゃ、大変!とばかりに、私は即刻ここ数カ月の雑誌をひっくり返し、化粧品
特集のページを読み漁った。そして、翌日すぐにデパートへ。目星をつけておい
たフランスC社のカウンターへと直行した。そこで私は、やたらと化粧の濃い
オネエサマのアドバイスを受け、昼用のアイジェルと夜用のアイクリームを買
い、「これで、クマともオサラバダ!」とウキウキして帰宅したのである。

 アドバイスに忠実な私は、翌日からさっそく昼はジエルを持ち歩き、洗面所へ
行く度にジエルを手に取り、薬指でトントンと下瞼につける、ということを行った。
もちろん、夜のケアも怠りはない。

 でも、私のクマは一向に消えてはくれなかった。「ああ、やっぱりこの職業が
いけないのかもしれない」。私は、目の前のCADを睨みつける。そう、あんただ
って疲れちゃうわよね。1日8時間、週48時間もこんなディスプレイと、細かい図
面を正確に見ないといけないんだものね。私は、制服のポケットから二種類の
目薬を取り出し、乾き切った瞳にそっと液体を垂らした。

 あれから、もう1年以上が過ぎた。転職し、CADから解放された私だったが、
なんの因果か、今度の仕事もコンピュターとお友達、なのだ。ゆえに、私の下
のクマは今もしっかりと健在? である。でも今度は仕事のせいではなく、もし
かしたら、年齢のせいかもしれない……そんな不安がよぎる。

 果たして、今日も私は「リッチな化粧品が欲しいっ」と思いつつ、30ml六千円
のハーブ入り美容液を下瞼にせっせとたたきこむのに余念がない。
 あーあ、おつかれさんな話。
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私の美学 (第4編)

2005年06月28日 10時26分45秒 | 娘のエッセイ
 毎朝、同じ電車に乗る、ひとりの男性がいる。恐らく三十歳代であろう
その人を見るたび、私はどょ~んと暗い気持ちになってしまうのである。
 
 その理由だが、不潔そうだから? 違う、違う。スケベっぽいから?
それも違う。じつは、彼の姿が美しくないからだ。

 彼は毎日のように、その日に発売されたビジネス××だのヤング○○、
果ては少年△△という少年向けの漫画雑誌まで熱心に読んでいる。
ああ幻滅! 彼は、ビシッ(?)としたスーツ姿の大人の男なのだ。

 ”きちんとした服装で、漫画雑誌を読む”これは私の美学、もとい
審美学におおいに反する行動のひとつ。例え、自宅でどんなに大口を開け
て笑いころげながら漫画をみていようとも、一歩正装して外に出たら、
そんなことはおくびにも出さない。(そんなのただのエエかっこしいじゃ
ないかと言われようとも、私にとっては美しくない行動なのだから仕方が
ない)

 美学といのは、ある意味でこだわりである。あれは美しい、これは美
しくないという基準を、恐らく誰もが心のなかに明確に持っているに違い
ないーーと思うのだが、どうだろう。

 最近の日本人は、「美学」から遠いところにいるような気がしてならい。
自然や美術関係の美学以外の美学というのは、ほんのちょっぴりムリをし
たところにあるのではないだろうか。昔からある言葉に「伊達」という言
葉がある。伊達ということも、生きる上でのひとつの美学。でも、近頃の
若い人達は、ムリを嫌がり、ありのままというのを尊ぶみたい。あるいは、
まったくの横一線並びのほどほどか。そのくせ金銭面で自分より上えを望
むことは得意だ。それも悪いとは言わないけれど、どせなら違う面で上を
目指して見たい。

 安易に周りに流されないための、ちょっぴりのヤセ我慢と、ほんのちょ
っぴりの上昇志向、それが生活する上での私の美学と言えるのかもしれない。

 そして、こんな現代(いま)だからこそ、自分の美学美意識を見失わな
いよう、しっかりと生きていけたらいいな、と思うのである。

            平成11年記

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