いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

猪突猛進?(第35編)

2005年08月05日 08時23分23秒 | 娘のエッセイ
 先日、夕方の通勤ラッシュの時のこと。横浜から○○線に乗った私は、空いて
いる座席に座ろうとして、重たいカバンを持ち直した瞬間、ドンッと突き飛ばされ
た。

二・三歩よろめいてから後を見ると、私が座るはずだった座席の空間には、えらく
体格のいい中年女性がどかんと腰を下ろしている。まるで猪さながらの猪突猛進
に、(そこまでやるか?)とただ呆れた。

 実は私、以前にもこの猪突猛進の被害に遭ったことがある。その時の猪はスー
ツを着た中年男性だった。その男性は、どちらかというとひょろりタイプだったの

だが、その突進力たるや、先の中年女性などあしもとにも及ばぬパワーであっ
た。なにせ、この身長160㎝の私が二・三m、ふっとんだのだから。

 しかもその時、何故自分が前のめりにトコトコと歩かされているのか分からな
かったくらいなのだから……。(このとき、車内はすいていた)

 あーあ、もしかしたら、私ってトロイのかもしれない。いや、きっとトロそうに
見えるに違いない。私は悟った。私も猪になるしかない。あ、非難の声が聞こえて
くる。猪になるなと言っている。そう、昔は私もスレテいなかった。

乗車の際、後からグイグイ押すおばさんに「降りる人が済んだら、自然に前に進
むんだから無理に押さないでよね。危ないじゃないの」と注意をしたこともある。
(その時、側にいた別のおばさんは始終、「そうよね、そうよね」と私に相槌を打っ
てくれた。感謝)

 しかし、朝の通勤ラッシュはまさに地獄、いや格闘技場である。足を踏まれたら
踏み返せ、肘が当たったら当て返せ。男も女も関係ない(こんな男女平等は悲し
いな)。

自分以外はみな敵。遠慮していたら乗れない、降りられない。「すみません」なん
て上品さは通用しない。ああ、こんな車内に誰がした?時差出勤は夢の夢。

 やめよう、やめたい通勤電車の猪突猛進。だけど、やめたら会社に辿りつけな
い。こんな日本、本当に豊かといえる?


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

打ち上げ花火(第34編)

2005年08月04日 08時19分28秒 | 娘のエッセイ
 男女雇用機会均等法が施行された時、初めて、”総合職”が登場した時に、「女
性のステイタス」という花火は華々しく上がった。むろんそのなかの幾パーセント
かは、不発だったり爆発してしまったりしたけれど、綺麗な花火を散らしてキラキ

ラと輝いていた花火も多かった。そしてそれはつい最近まではきちんと存在してい
たはずだった。

 それなのに、不景気という名の突風が、花火の火種を消してしまった。女性の労
働力は、社会においてはやっぱり花火的な存在でしかなかったのだろうか。景気
が夏の盛りの時にだけ必要なものでしかなかったのだろうか。

 ところが、女性労働力という花火が消し去られた今、コギャルなどと呼ばれる少
女花火が派手に上がり始めた。彼女らのことを、ある女性記者が語っていた。

 それは”私達が女ということで損をしない為に、女だからと得をすることを放棄
してきたのに、(彼女らを見ていると)私達は一体今まで何をやってきたのだろう
か”というような内容だった。

 確かに彼女達は、女であることと若いということを前面に出し、それを売り物に
して楽しんじゃおうという趣がある。

でもいいじゃない。女の人生は、元々打ち上げ花火の連続みたいなものだ。彼女
らの行動はその最初の花火だと思えばいい。この先も次々と好きなだけ花火を
上げるだろう。

 結婚とか出産という花火を上げる子もいよう。そしてその先のことは考えていま
い。その先は実は、とてもハードなのだ。

日本という「打上げ会場」で女達は苦労する。フランスでは、女性は中年以降が
本当に楽しいと聞く。

 フランス映画の中に、「マドモアゼル」と男性に呼ばれた女性が、キッとした目
をして「私はマダムよ」と言い返す場面があったりもするから、それは本当なの
だろう。

 日本では逆に、中年女性でも「お嬢ちゃん』と呼ばれたら喜んでしまうに違いな
い。それが悲しい現実だ。成熟していない社会で、成熟した女性が上げられる
花火はない。

 いくら何尺もある花火でも、自動点火はできない。点火してくれる人が必要だ。
でも凄腕の花火師の数は、まだまだ絶対数が足りていない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数字の三が語るもの

2005年08月03日 15時45分49秒 | 心に留めた言葉
   
     「三で表される言葉には、ものごとの基本を示すものが多い。
      他方、七は調和の表現になっています。ですから、世の中を
      十とすると、これを七:三に分けて考えていくことが大事です。」

       三段論法・三原色・三種の神器・三々九度……                
       七夕・初七日・七福神・七転び八起き  ……
     読むクスリPARTⅦ 上前淳一郎著の中での言葉である。

 最近、『仕事も暮らしも3で割るイギリスの習慣』井形慶子著 新潮社1365円
が紹介されていた。
 「数字の3をキーに英国風の生活や考え方を具体的に紹介…日本人は公私で
  区切る考え方が多い。しかしイギリスでは仕事、生活、プライベートのように
  三分割する。……」

 是非、読んでみたい本であるが、残念ながら未だ手元に無い!

 数字にまつわる話は多くある。数例を紹介してみよう。

  ○ 「三」と言うのは興味深い数である。洋の東西を問わず、古くからよく使
   われている。
    キリスト教の「三位一体」、仏教の「三界」、天皇家の「三種の神器」はも
   とより、毛利家の「三本の矢」も有名であるし、「徳川御三家」など出例に事
   欠かない。
    習い事の世界でも「習破離」や「序破急」のように「三」が幅をきかせてる。
   「天地人」も「心技体」もよく使われる。
    ヒット曲を生む「三要素」は「よい歌詞、よい曲、よい歌手」だそうだ。
   スポーツには、野球の「スリーアウト」「三振」があり、オリンピックの
   「金銀銅」メダル、ゴルフでは「スリーパット」に悩まされたりする。
    多分、「三つ」の切り口で表現すれば、その世界がどうやらつかめてくるし、
   また「三項目」そろうと説得力を持ってくるようである。
    「三」という数は人間の思考の単位なのかもしれない。
      平成5年8月9日大分新聞 桑原達郎(新日鉄大分製鉄所長)

  ○「自分の歳を3で割れば」人生は」”時計”
    「自分の歳を3で~」とは、自分の歳を3で割って、人生を一日にたとえた
   場合の時間に相当させようという意味。たとえば27歳であれば、午前9時に
   にあたる。42歳では午後二時、…
    元々60歳ぐらいの人が40歳過ぎの人を励ます時に実際に行った話しらし
   いらしいが、…」
      平成3年12月9日産経新聞 武田鉄也さんのコンサートトーク

  ○ ワシントン・ポスト紙
    日本の社会で重視される規範として、社会的調和の維持、対立の回避
   まじめな仕事ぶりの三点をあげ、日本人の価値観の一つである「ガマン」
   がいかに重要かを指摘した。
      平成5年1月18日読売新聞夕刊

  ○ 友とするにわるきもの
    友とするのによくないものは七つ。①身分の高い貴い人。②若い人
   ③病気をせず身体の強い人。④酒好きな人。⑤勇気にはやる武士。
   ⑥うそをいう人。⑦欲のふかい人。
    一方、良い友は三つ。
   ①物をくれる友。②医者。③知恵のある友
      徒然草 第117段

  ○ 一日は人の一生に同じく、
        朝は少年、昼は壮年、夜は老人となる
          平成7年10月24日毎日新聞

  ○ 女には三張りと言って、目の張り、胸の張り、腰の張りです。これが一番
   大切です…
          平成8年2月20日 日本経済新聞

       
      


       
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

症候群シンドローム(第33編)

2005年08月03日 06時59分00秒 | 娘のエッセイ
 最近、『症候群』という言葉が氾濫している。つい先日も、雑誌の病気チェック
なるテストをしたところ、私はストレス過度で、OA症候群で、VDT症候群で、
なおかつ出社拒否症で鬱病だというひどい結果がでてしまった。

けれども、これらの産みの親である会社を私は今年いっぱいで退職出来ること
になったのだ。(ウレシイ!)

 心身共にボロボロにされてしまった職場であったが、私はここで、変な生物に
出会った。その生物とは、食欲と性欲と嫉妬の塊のような女である。

服を切られる。貴金属や書類が紛失する。など、私自身かなりの被害にあった
けれど、一歩離れて眺めれば、その言動は話のネタとして面白かった。

そんな彼女の為に、私は『恋ができないかもしれない症候群』という病名を考え
だした。それは、欲情するけれど恋はしない。男と寝るけどメイクラブはしない、
ということからだ。

 昼休みの休憩室。女性雑誌のエッチな体験記を声に出して読む彼女の口か
らは、今にもヨダレが垂れてきそう。「お願いだから、声に出して読まないで」

と言いたくなる程、その声はネットリとしてイヤラシイ。欲望に忠実なのは、悪い
ことではない。けれど、若い女の過剰な性欲の露呈は、悲しいかな、吐き気を
もよおすばかりなのである。

 「最近、男の人を好きになれないの」。この間、電話で友人がポツリとこぼし
した。「小学生の頃から、いつも好きな人がいたのに」と、その悩みはかなり
深刻そう。

現在、彼女は恋をしていない。けれど、『恋が出来ないかもしれない症候群』
にかかっている訳じゃない。

 だから、仕事に精を出し過ぎて様々な症候群を背負い込まないように、そし
て、早く素敵な恋に巡り会えるように、という彼女への気持ちも込めつつ、

バブル崩壊でめっきり仕事の無くなった会社の図面台に向かって、症候群に
冒された私は今、このエッセイを書いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性化する男達(第32編)

2005年08月02日 09時03分00秒 | 娘のエッセイ
 私の女友達のほとんどは同い歳なので、今年で二十七歳になる。独身・人妻・
ママありと賑やかだが、その中でも独身の友人同士が集まると、必ずと言ってい
いほど話題は男である。そんな彼女達の話と私自身の体験から、ふと面白い
発見?をした。

 私は、今おつきあいしている彼から、当初よく言われた言葉があった。それは、
『男まさりのともちゃん』である。何故かと言うと、私は港の女の子達のように、

”可愛く”男の腕にまとわりついたりしない。届くはずのない相手の肩に無理やり
手を回して肩を組んだりしてしまう。

 つまり、普通の男が女の子に対してする仕種を、いつのまにかしているからな
のだ。で、それを男が嫌がるか、というとそうでもない。結構楽しくやっていけたり
する。これは、女が強くなったというより、男が女性化したからではないか?
と私は思う。

 二十七にして自由の身である女達は、ほとんど一回以上は男で嫌な目にあっ
ている。そして、その相手はというと、女性化している男達なのである。
それも、変な所が女性化している男だ。

 友人のC子は、年下の男に別れを告げた時『金をくれ』と言われたそうだ。金で
カタをつけようという発想、これは本来、女のものではなかったか? 

また、私もある男に別れてほしいと言った時『俺の三年間を返してくれ!』と叫ば
れた。『私の青春を返して!』なんて台詞、女にだけ許された言葉ではなかった
のか?

 けれど、皮肉なことに、そんな女性達に安らぎを与え、優しく受け止めてくれる
のは、やはり女性化した男達であったりする。

 うまい具合に女性化して、心に柔軟性を持った新しい男達。彼らの存在は、
とても嬉しい。でも、ほんのちょっと「物足りない」気もする。

 だから、優しい男がなにかのひようしに『~しろよな』とか『~しようぜ』なんて
言葉を使うと、きゅん、と胸が痛んでしまうのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初夏の病 (第31編)

2005年08月01日 08時15分02秒 | 娘のエッセイ
 今年の春、歯科技工学校を卒業したばかりの新入社員のA君が、限りなく解雇
に近いい形で、先日退職した。

 A君が身体の調子が悪くて休んだ日の翌日に、彼の母親から電話があった。
「しばらく休ませます。仕事もきついようですし……」

 そして、A君は会社に来なくなった。二日経っても三日経っても、彼から会社に
連絡は入らなかった。最初は、何故、休んでいるのか、結局のところ誰も本当の
理由を知らなかった。

 そして、会社側が最終通告の電話を入れた翌日、A君の母親が会社にやってき
た。彼女は、濃く強烈な臭い(あれは香りとは言えない)を漂わせ、手土産に風月
堂のゴーフルを持ってきた。

ある病院の総婦長をしているという彼女は、「看護婦さん」というより「勇ましく、
気の強いママゴン」という感じの女性だった。その上、J君の母親が持ってきた
「退職届」は、どう見ても本人の字とは思えない女性的な字体をしていたのであっ
た。

 「あれは、母親が絶対的存在で、強すぎるんだな」。彼女が帰った後、専務が
言った。

 A君は、たぶん母親にとても可愛がられていたのだろう。今までその母に守られ
た家庭という温室と、学校という温室しか知らなかった。

そんな彼がその温室から放り出され、いきなり雑草ばかりで隙間風の入る技工所
に入ってきたわけだから、そのカルチャーショックは小さくなかったに違いない。

 五月病は昔からあった。でも、今の五月病は、昔とは症状が違うようだ。気持ち
のよい初夏の風が吹く頃、この季節、子離れできない母親と、親離れできない子
供にとって、ひとつの試練の季節なのかもしれない。

 A君は今、何もせずに家にいるようだ。彼の五月病はいつ、

                           治癒するのだろうか……。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする