森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

長野県理学療法士会 第13回市民公開研修会

2009年05月10日 12時19分00秒 | 過去ログ
第13回市民公開研修会開催のご案内

1.期日:平成21年5月17日(日)

2.場所:佐久勤労者福祉センター(第5会議室)

3.研修内容 

テーマ:「ニューロリハビリテーション」

講 師:森岡 周 先生(畿央大学健康科学部理学療法学科教授)

4.日程: 9:00~16:00

5.参加費:会員(事前登録):1,500円 会員(当日)・一般:2,000円 非会員理学療法士:4,000円

      
6.参加申し込み:申し込み受付終了しました。


郷に入れば郷に従うという適応能力

2009年05月10日 12時01分46秒 | 過去ログ
こんなにブログを空けたことはなかったが、
「清志郎」の喪に服していたということで。
というわけではないが、体調が悪く・・・

4月30日に高知の病院の実習訪問の際には
問題なく(学生も問題なく)過ごしていた。

バイザーの新たな視点、
徒弟制度的指導でなく
教育的観点から
どのような「経験」を作るかという
点で、榎先生、芥川先生、薦田先生に共感した。
僕は、もう卒後研修制度を協会が構築し
卒前は「経験」をさせることに徹底すればよいと思う。
評価をする時代は終わった。
根拠もないのに、このような「評価」システムが
40年も残っているのに疑問を持つ。
ただし、卒後教育がなければ
現状の学生のレベル(知識は増えているが、知恵がない、生き方下手)
であるならば、「評価」は残さなければならないとも思っている。
最後の関所として。
迷惑被るのは「患者」「家族」「社会」なのだから。

高知の夜を満喫し、愛媛へ。
愛媛ではバイザーと少し、
教育の点で討論し、
教員側からの意見を申し上げた。
「共同注意」できれば、進展するだろう。

講演をして、懇親した。
2夜連続に、年を感じる。

翌日は父親が愛媛にいるので、
高知に帰省することで、
高知まで送ってもらった。
2時間の車内は常時寝てしまった。
その日は、実家でも1日中寝て、
まさに24時間ほど寝ることになるが、
ふつうは頭が痛くなり、
寝すぎた感があるが、
それもない。

体のサインがそのような行為に仕向けたのだと
感謝する。

翌日から、大規模研究費取得の申請書作りを
しようとするが、GWの最中、
気持ちが折れるというか、
純粋サイエンスへの魅力を感じなくなった
志向性というべきか、
7割ほど完成させたが
フィニッシュはさせなく
「やらない勇気」を意識した。
「受けない勇気」「出さない勇気」
これからは、仕事を考えていこうと思う。
チャレンジは大いに推奨し、
自らも常にチャレンジしていこうと思うが、
手当たりしだい、やたらめったらでなく、
私に与えられた使命に基づいて
チャレンジしようと思う。
従来やっていた(きた)ことは
同僚のメンバー(研究グループ)に委ねたいと思う。


GWは毎晩飲み、
森岡氏、沖田氏、吉良氏、佐藤氏、加賀野井氏らと熱い激論を交わし、
酔っ払いと言われながら、
「宮田塾2009」の曲を塾長よりいただき、
その創造性に感謝しながら、
5月6日の夜に奈良に帰った。

翌朝、風邪症状と闘いながら、
重い腰を上げ、神奈川へ向かった。
重度心身障害児施設で実習する学生から
「現象」を観る視点が多様である充実さ、
そして、「現象」を他の「現象」からこじつけても
根本の解決にはならないということを本人の口から聞けて、
このように複雑な障害像をもつ、子供あるいは成人の脳性まひでは、
従来型の障害構造に照らし合わせて観察しても
何の糸口にもならないことに気づいたという。

リハビリテーションの考え方はICFにいったとはいえ、
未だ、後療法の域を出ていないようにも思える。
それは「基準」というものであるならば、
一方で仕方ないとも思え、
「基準」は知っているが、多様な現場では当てはまらないことを知ってもらえればよい。

訪問なんかはその典型だ。
「生活」を見る視点は、
「個人の来歴」を見る視点でもあり、
脳や、神経や、筋肉や、動作や、歩行や、などを単発に見て、
それを因果の名の下、こじつけてもしょうがない。

吉良氏の視点はその根幹をついている。


急いで神奈川の新百合ヶ丘駅を出て、
町田駅で経由し、東京の高尾へ。
東京だが山からの風が新鮮であり
田舎を感じる。
拓殖大学の学生とすれ違う。

いろんな大学の問題を指摘され、
それはすれ違いであったとしても真摯に受け止める。

その指摘が「問題提起」になるためには、
実習指導者が共同注意して向き合わないと生まれないとも思った。
今までの経験にない、問題が発生すると
人間は「不快」になる。
その方針が好きか嫌いかで
人間を人間が評価することはできない。
知らないうちに人間は大脳皮質を作動せず
海馬―扁桃体の仕組みで
物事に対応するようになる。

問題が発生することは
自らの経験にないことから起こり
それを楽しむ姿勢も
大人も子供も大事だと思う。


学生も知らないことを
求められると「学校」では習っていない
と、受け答えする。

「知らない」ことがこんなにも多くあるのか
と思うと、楽しくならなきゃ!
世の中には知らないことばかり、
知っていることのみで対処するから
自分自身、そして、この業界の発展がないのだ。


学校にも教え込みすぎという問題があるが(これが全てだ!教育)、
そんなもん、ところかわれば、考え方が違う。
「普遍的」とは何かを考えれば、
おのずと、「知らない」ことばかりに
対して、苦にはならない。


学校で習うこともそんなに正解ではないですよ。
「正解」という表現がよくない。
現場で肌で感じること。
知らないことだらけ。

「郷に入れば郷に従う」

学校との違いを感じて、
大脳を作動させてください。

「生きる」ということはそういうことです。

「違いがわかる男(女)」


あとは臨床に「愛情」がないことが気になったかな。

付き合う前の大好きな彼女に直筆でラブレターを書くように
「レポート」「ノート」を書く。

付き合った直後の大好きな彼女の表情やしぐさを読み取り
どのようぬいふるまえばよいかを考えるように
「患者」「職員」と接する。

よく自分がされた場合、とか、自分が受けたらどう思う?
という指導をするが、
そこまで余裕がないのである。
私がどう動かして、どうしゃべればよいのかという視点ばかりの
者にそれを言っても難しい。
あとからフィードバックで意識することはできるが、
なかなか、行動にうつることができない。

今の学生は「人間」を人間のように見ているが、
その奥行きにはやはり「物」としかとらえることができない。
これは「物質」が豊かになる一方、
「人間関係」が希薄になった時代背景から致し方ない。
世代というものはそういうものである。

そのような学生には、
「愛情」というキーワードから「愛情」を与え、
「愛情」を感じさせることから始めないといけない。
医療者に向かうためには途方もない長い旅路である。
親子関係、親戚関係の問題を教育で受けなければならないと思う。


世代と言えば、吉良氏が面白いことを言った。
69歳を境に、戦前教育と戦後教育に分かれるようで、
戦前教育は「お国万歳!」主義的教育であり、
医療に対しても全く「従順」であり
我慢するという古い体質があるようで、
これが今までのリハビリの対象者であったが、

戦後教育が導入され世代からは、「自由」という思想から
安保に対する「大学紛争」の世代となれば、
医療に対してのクレームや
生き方を自分で設定できないものに対しての不快が
起こり始めてきているという。


これが我々の世代になればどうなるだろう。
「自由」を「自分勝手」と勘違いしている「バブル」世代である。


無宗教の日本で自由を叫ぶと
どうなるのであろう。

韓国のように「儒教」のなかの自由や

ヨーロッパのように「キリスト教」の慈愛のなかの自由とは大きく違う。

道徳の前に、自分自身の「宗教」感を見直すことも大切であろう。

私は「佛教」である。

ちなみに浄土真宗本願寺派である。


人間を知り、人間を再生するリハビリテーション
それは単なる機能回復でもなければ
単なる動作獲得、生活拡大でもない。
個人にとっての幸せとは何かを
求めつづける「人間科学」そのものである。

リハビリテーションとは最も難解な学問である。

単純な思考回路では解決の糸口を見いだせない
人間を追求するものである。



さてさて、40歳前にすると体力が落ちつつある。
昔は、養成校に教員が4名体制であったため
1期間の実習訪問は全国各地10施設ぐらいいき、
3期間プラス2回の評価実習をいれれば
50施設近く年間に回っていた。
たまに留学者がいると3名で行っていたため
4週連続実習訪問で3泊4日というのもあった。


それはそれで受け入れ、
愚痴一つなかったと思う。
自分の役割を意識していたからだ。


愚痴とは自信のなさの表れなのか、
いや、自信のなさと、自信の生まれの間の葛藤から生じるものなのかもしれない。
その人に期待するから「愚痴」が出る。
はなから「期待」しなければよいし、
「愚痴」をこぼすものが、その仕事をすればよい。
と、思うときもしばしばである。


愚痴から、問題解決型へ。

人間とは実に面白い生物、自然現象である。


金曜日、東京八王子を出て、
伊豆へ。

旧の伊豆逓信病院、現在のNTT東日本伊豆病院。
伊豆逓信病院と言えば、リハビリテーションに古い人はご存知の病院だろう。


その広大な面積(外の風景もよい)には
いつもドラマロケに来るらしい。
この前は速水もこみちが来ていたらしい。

この空気に学生も溶け込んでおり
表情も良い。
バイザーもしっかりしたまなざしである。

夜はもちろん懇親し、
2夜連続で苦しいが(最近めっきり弱い)
三島のノスタルジックな飲み屋を堪能した。

土曜日、いつものように新幹線にのり、
富士を眺め、帰路についた。

4月30日より、西へ東へ。

明日より、平穏な毎日が来る。

明日が来ることは実に幸せなことなのである。

震災や病気からしかその幸せを感じられない現代の人間は
ちょっと悲しい。