森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

脳は自由を愛する

2009年05月20日 23時16分49秒 | 過去ログ
昨日は学部の授業を行う。
神経系理学療法学では神経科学の視点から
Apraxiaの解説を試みた。
最初は目が点になっていたが
ある例題を出すと「腑に落ちた者」も出てきた。
理学療法士というものはapraxiaに無力だ。
視点を変換しないと
この現象の解読ができない。
それはクラシカルなもののみを教えても
何の解決の糸口にならず
ご批判もあると思うが
未来に向けて1歩踏み出さないといけない。
その際、運動麻痺と違って
無力さを痛感するapraxiaから始めるのも一つの手続きだ。

ある側面からしか見ようとしないから
何も見えない、そして見えたとしても
クラシカルなものに誘導されたバイアスになる。
日進月歩のサイエンスを貪欲に取り入れ
クリエイティブなクリニックを考える
これこそが科学的視点に立脚したクリニックだと思う。

エビデンスも一つの方向性だが、
その根幹にはサイエンス・ベースド・リハビリテーションを
意識しておかなければならない。

エビデンスが誇張されてしまうと
サイエンスで調べるものがもう無くなってしまう。
その両者をきちんと理解した上で情報を読み取る。
この作業を医学にいる人間はしないといけないし、
生活学にいる人間もしないといけない。
依然として、受け売りだ。
今日もある勉強会のスピーカーからもれる声を耳にしたが
第一人者だとか、そんなことで臨床が決まるものではない。
そのようなトップダウン・決め付け志向性が
サイエンスを邪魔する。


神経系を終え、
発達系にうつる。
4か月児の発達と
5か月児の発達の違いに関して
ディスカッションした。
まとめる能力はうちの学生は高いと思う。
おそらくリーダーシップをとる人間の能力に依存していると思うが
その開き・標準偏差が年々広がらないように
すがりつくんだ。


院の授業の前に大学院GPの書類に目を通し
そして木曜日の超難題な講演テーマの準備を始める。
簡単な方法がわかれば自分が知りたいものだ。
「やる気」とは自由を感じることだし
「やらされ感」から脱却することだ。
自由を感じない学習は長続きしない。
うちの大学のゼミ決定も不思議であるが
いずれにしても「脳は自由を感じる」ことで学習する。
A=Bという論理でなく
私が感じる(受ける)感覚から起こる感情によって行動が決まる。
そのような人間の心理についてのサイエンスを理解することが
教師にも求められる時代であろう。
いずれにしても社会主義的な「均一化」はどこかで綻びがでる。
「同一」なんてこの世にはない。
もしあればそれは物理・機械な世界だ。
「違う」から人間は面白い。
それを物理的な尺度のみで
一緒(同一)にすることは
もはや前頭葉は必要ないという
どこにってもAEONという社会を作ってしまう。

そんなことを言われても自分もルールの中に生きているが
あまりにもそれが息苦しい(感情の自由度を完全に奪われてしまえば)
それ相応の覚悟を決めるだけである。


19時40分から院の授業。
本日よりM1からの情報提供が始まった。
末吉さんからは前頭-頭頂ネットワークと
クロスモダルトランスファーに関する知見。



若田君からは聴覚と視覚の行為変換システムの差異に関する検討
が話題提供された。



論文をどのように読むのかをサジェストし、
受身的に論文を読まない(入力して記憶するだけ)ことの留意を話した。

記憶は使ってなんぼである。


聴講する河石くん


本日は朝一番から看護医療学科の「感情体験の脳科学」
いわゆる「接近・回避」から
万国共通の6つの情動、
そして大脳皮質の機能も加わった
社会的感情(一人称的感情)を説明し
人間をケアする上での感情の読み取りをどのようにするのかについて話した。

また情動については前回は恐怖を取り上げたが
今回は嫌悪を取り上げ
内臓感覚と島の機能について話した。

最後には、次回から感情の読み取りに入るための
前段階として表情認知のエクササイズをした。

こころを読み取る最前線
それが看護師だ。

その後、SAPS3期生の依頼された
感情脳と飲酒時の脳の状態について話をして、
みんなからの質問を受けた。



ポジティブ脳に切り替えるためのヒントも話した。
まあ、そんなに簡単にはいかないけどね。

そののち、明日の高田高校の講演の資料をフィニッシュさせ
大学院GPのための業績つくりを行った。

19時30分より奈良の勉強会に参加し
歩行の外部観察を確認した。

現象を理解するためには他の現象をこじつけてもいかない。
今までの理学療法はその問題を解決できていない。
それは哲学的命題の理解をしていないからである。
その背景となっている病理を知るために
動作を観察する。
これができないと動作の病理の根本へと到達できない。
この到達しようとすることがセラピストとしての生涯の旅である。
自分も現役を続ける限り
その真理を追い求めたいものだ・・・

21時過ぎに終了し、
大学院修了生の藤本君の今後の研究を話し合い
データ採取の目的をサジェストした。
うまくいけばよいのだが・・・
被験者のためにも学会発表のoutput(社会貢献)にとどめず、
論文というoutputでさらにその社会貢献の精度を高めてもらいたいものだ。


さてさて、結構、激務であり、
メールの返信が1か月ほど滞っています。
緊急なものには対応していますが
そうでないものは対応できません。

6月までお待ちください。
よろしくお願いします。


月末のPT学会の準備なんかとんでもない状況だ・・・またもや追い込まれている。。。脳の創造性からほど遠い毎日だ。東京でもインフルエンザ感染が起こったようだが・・