森岡 周のブログ

脳の講座や講演スケジュールなど・・・

ハードプロブレム

2009年07月29日 22時42分34秒 | 過去ログ
今日は朝5時に大学に行き、
テストを印刷、テストを作成、色んな書類作成をして、
そして、9時からの授業にのぞむ。
看護、教育の授業が終わった。
他学科の授業は「おきゃく」の精神がわき、
異様にやさしい。
「厳しさ」をもたないと「おもてなし」の精神がわく。

メールの返信をほとんどすまし、
夕方から神経系理学療法学の試験監督を行いつつ、
リハビリテーションのための人間発達学の原稿に赤を入れ始めたが、
どうもしっくりくる原稿でない。
一気に書かなかった理由から、支離滅裂である。
もう一度、解体する。
身体運動のようなものだ。
一度、解体しないと、粗大なものでしか表現できていない。
運動学習のようなものだ。
しかし、、、、、時間がない。

試験はパーキンソン病、失調、失行、失認、などの範囲であるが、
試験後、学生と話をした。

意識するっていうことは、
出力する!(しよう!)ということではなく、
自然に感じるっていうことである。


「意識」という用語が間違って伝わっているようだ。


脳は指令器官でもあるが
情報処理器官でもある。
意識するっていうことを、出力を意識すると思っているセラピスト諸君。
それは単純な思考である。
運動は具体的かつ機械的にシミュレートされていない。
もっと抽象的かつ図式的にシミュレートされている。



子どもの自然な運動発達から脳と身体の関係を観察してみたらいかがでしょうか?
脳卒中を中心とした中枢神経系を専門とするセラピストも
その自然な発達を一度見直してみるべきだと思う。
そうすればもっとやわらかい脳(思考)が創られるのではないだろうか。

なんとなく、そんなことを学生と話しながら感じた。


学習とは意識しても意識しなくても行為として成立しているということを言う。


意識とはもっとも難しい脳科学の問題である。

意識する(させる)、意識しない(させない)という0か1かの問題でない。

パーキンソン病にしろ、失行にしろ、やれ意識させない、とか、やれ意識させろとか・・・リハビリテーションに翻訳された途端、あまりにも単純なセオリーに置き換わるという、この世界は、もはやあきれてしまうときもある。

文献を文字通り読むのではなく、その意味を解読しようとしないと、
脳の本質に向き合おうとはできないと思う。
最近、特にそれを思う。


第1回やまとフォーラムへ!!!

2009年07月29日 11時41分39秒 | 過去ログ
第1回やまとフォーラムへ!!!

特別対談のほか,21講座.受講無料!!詳細はブログで適宜知らせます.

当日は選挙ですが,そのあと,その前にぜひともお越しください.
夏休み最後の日曜日ですが,文化的に過ごしてもよいのでは?


自然・文化・そして脳!

「育む」という人間らしさに写真家と研究者がコラボレーションすることで,
その世界に迫ります.

なお,当日は大学内でナイトセミナーなども開催したいと考えています.
これは脳のリハビリテーションに関連したものと考えておりますので
後日,このブログで紹介します.
参加費はもちろん無料!!です.





もっとも遅く発達する脳

2009年07月29日 05時15分20秒 | 過去ログ
昨晩、突然の諸事情が起こり急遽大学をあとにしたことで
仕事があいかさなり、今日は朝の5時過ぎから大学に来ている。

このような時間に「来る」というのははじめてである。
「いる」ということはあっても。

予めに、予期できない「突然」「急遽」という事態にも
もう40年近く生きてきて育った「前頭前野」があれば
問題を回避し、解決できる。
できないのは、それが「不幸」と感じたときか。

その「不幸」という感情の閾値も年を重ねるごとに閾値が高くなる。
まさに「熟練脳」であり、「成熟脳」である。

前頭前野のミエリン化のおかげである。
16~20歳(最近はおそらく幼少化しているので、もっと遅いと感じる)
やそこらが、一番前頭前野がミエリン化が進んでいるときで、
そのせいで情動が起こり、「キレ」たり「アキラメ」たりする。

それを乗り越える脳と身体を持ちえる(鍛えることができるか)が
今後の生き方を変える。
まさに1ステージ上にあがれるかどうかが正念場だ。

昨日は前期最後の神経系理学療法学の授業と
発達系理学療法学の授業であった。

パーキンソン病の補足と定型発達児と脳性まひ児の行動分析であった。

本日、明日の試験にのぞんでもらいたい。


その後、6名の4年生の症例発表を聞いた。
「これでいいのだろうか?」「これでよいんだろう」と自己葛藤が生じていた。
学生は一生懸命やっており、これでいいんだと思うが、
世間の時代の流れにおいては、「やきもき」もする。
日進月歩さを感じない。


さて、今から仕事、仕事である。