人間は数々の困難を乗り越えてきました.自然の変化に適応していくことで,脳をはぐくみ,リフォームしてきました.アイスランドの火山の噴火により,今その脳の機能を見直しているところです.アイスランドには12年前に向かい研修しました.ちょうどその1年前に学術雑誌「Physiotherapy」に姿勢制御をシステムの視点から考えた論文が発表され,その著者であるマリアの働くIceland University Hospitalで研修させてほしいとイギリスのアパートから手紙を書いてOKをもらい,そのままIcelandに飛び立ちました.その時はメールなんかはまだなく,自筆の手紙を書いてポストに入れたのを記憶しています.研修の話はここではしませんが,着くなり,その雪深さ,そして温泉,ときよりの火山の噴火など自然のすごさを感じたことを今でも記憶が蘇ります.
今回の自然現象はまさに予期できないものであり,こうした予期できない「偶有性」に出会うことで人は新たな知恵を磨いていくのだと思うのです.もし,自分が空港で巻き込まれても,少々はパニックになると思うのですが,各国を渡り歩き,ベルギーでは強盗に出会い,数々のホテルトラブルの経験などから,おそらく大丈夫な自分がいそうです.ことばが通じなくても,人間というのは,その時々で「動く」ことで何らかの知恵が生まれ,そして新しい自分をつくっていくのだと今回の一件で特に思いました.これこそ,脳の学習ですし,これが積もり積もって経験が伝承され,そして人間の進化に寄与していくものだと思うのです.
しかし,先日も授業をしていて,はたして現代の若者はこうした事態に出会ったとき,どのように行動をとるのかを考えたとき,「キレる」や「自暴自棄」になり,「フリーズ」を起こしたり,行動を他人任せにしたり,とその表情からネガティブなものが読み取れたり,あるいはたくましく生きられるだろうなと思うものもいたりして,自然に適応する現象において,人間は明暗が分かれるだろうなと思った次第です.結果は最後についてくるものです.成功したりするのは,その時々の偶有性にどのように認知し行動をふるまってきたかで違うんだろうなと,今回のアイスランドで不安の最中にいる人の表情と,昨日の授業の学生の表情を照らし合わせながら,学生たちは人工に囲まれ,そして豊かさが当たり前に育ってきたために,自然,そしてたくましさというものを忘れ,そしていつしか人は予想だにしない自然現象に打ち負け,ほろんでいくのかもしれないな,とも思ったりしたのです.その時,もはや種の保存のために生きる(生き続ける,守る)という生物らしさはなくなってしまい,ほろんでもいいや,しんでもいいや,という概念形成が蔓延しているのかもしれません.食べればいいや,無理しなくてもいいや,といった心はその始まりかもしれないのです.
今回の自然現象はまさに予期できないものであり,こうした予期できない「偶有性」に出会うことで人は新たな知恵を磨いていくのだと思うのです.もし,自分が空港で巻き込まれても,少々はパニックになると思うのですが,各国を渡り歩き,ベルギーでは強盗に出会い,数々のホテルトラブルの経験などから,おそらく大丈夫な自分がいそうです.ことばが通じなくても,人間というのは,その時々で「動く」ことで何らかの知恵が生まれ,そして新しい自分をつくっていくのだと今回の一件で特に思いました.これこそ,脳の学習ですし,これが積もり積もって経験が伝承され,そして人間の進化に寄与していくものだと思うのです.
しかし,先日も授業をしていて,はたして現代の若者はこうした事態に出会ったとき,どのように行動をとるのかを考えたとき,「キレる」や「自暴自棄」になり,「フリーズ」を起こしたり,行動を他人任せにしたり,とその表情からネガティブなものが読み取れたり,あるいはたくましく生きられるだろうなと思うものもいたりして,自然に適応する現象において,人間は明暗が分かれるだろうなと思った次第です.結果は最後についてくるものです.成功したりするのは,その時々の偶有性にどのように認知し行動をふるまってきたかで違うんだろうなと,今回のアイスランドで不安の最中にいる人の表情と,昨日の授業の学生の表情を照らし合わせながら,学生たちは人工に囲まれ,そして豊かさが当たり前に育ってきたために,自然,そしてたくましさというものを忘れ,そしていつしか人は予想だにしない自然現象に打ち負け,ほろんでいくのかもしれないな,とも思ったりしたのです.その時,もはや種の保存のために生きる(生き続ける,守る)という生物らしさはなくなってしまい,ほろんでもいいや,しんでもいいや,という概念形成が蔓延しているのかもしれません.食べればいいや,無理しなくてもいいや,といった心はその始まりかもしれないのです.