テリー・イシダの『独酌酔言』。

夜な夜な酒場で一人飲み、酔った勢いであれこれ、一言、申し上げます。

独酌酔言:厄災の爪跡は治癒するが、その記憶は受け継がれなければならない

2024年01月17日 | 世の中

能登半島地震から2週間と少し、

徐々に支援は広がり始めているようですが、

地震による物理的被害の修復はまだ手着かず

数千年に一度だったかもしれない、4mも隆起した地殻変動の爪痕を見て驚きました、

一日も早い復興を願います、

そして、今日1月17日は阪神淡路大震災発生から29年目の節目、

被災した身としては、もう29年も経ったのか、というのが正直な気持ち、

震災直後は、あの時の事を思い出すと自然と涙が流れたものですが、

最近はそういうことも少なくなってきました、

時は人の想いとは別に流れ続けま

29年経った被災地神戸に、もう生の地震の爪痕を見ることはできません

慰霊碑や記念碑はたくさんありますが、

当時、崩壊した街並みは綺麗に修復され、

生の地震の爪痕を見る事はもうほとんどありません

人が作った都市というシステムにも治癒力があると感じます、

30歳以下の人に震災の記憶はない、

爪痕は綺麗に修復され、傷は治癒しました、

見た目には、大きな厄災などは無かったかのような街に戻りました、

高校生が昭和20年6月にタイムスリップして、特攻隊員と恋に落ちるという映画を見ました、

「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら」

タイトルとは裏腹に予想外に硬派な映画で、

恋物語というよりは戦争の記憶を掘り起こす

戦争の愚かさと平和の尊さに目を向ける、という意味合いが強い映画でした、

昭和20年にタイムスリップした女子高生は、

素直に、愚直に戦争の愚かさや平和の尊さを口にします

敗戦寸前の日本という厄災の最中に放り込まれたからこそ、出てきた言葉です、

今の日本に、生の戦争の爪痕は残っていません、

慰霊碑、記念館や原爆ドームは残っていますが、

生の爪痕は修復され、傷は治癒した都市があるだけです、

そんな環境の中で、

若い俳優の口から戦争の愚かさや平和の尊さを語るのは、

とても有効だと気づかされました、

観客はほとんどが10代~20代、

エンドロールが終わり、場内が明るくなっても、

立ち上がる若者はほとんどいませんでした、珍しいことです、

少し間をおいて、ザワッと沸き起こる呟きと嗚咽、みんな泣いています、

生の戦争の爪痕も傷跡も観たことが無い世代

記念館や原爆ドームの見学以上に、

彼らの心に、戦争の愚かさと平和の尊さが焼き付いた瞬間でした、

厄災の爪痕はいずれ治癒しますが、

その厄災の記憶は受け継がれなければならない

次々に襲ってくる厄災を人々の記憶に留め

次の世代に受け渡す責任が我々にはあると思いました、

今日は29年前に亡くなられた方々だけでなく、

過去の厄災で亡くなられた方々に哀悼の意を表します、