テリー・イシダの『独酌酔言』。

夜な夜な酒場で一人飲み、酔った勢いであれこれ、一言、申し上げます。

独酌酔言:これは知りませんでした、仏教の韻文『五観の偈』

2024年10月17日 | 世の中

ワタシ、信仰心はありません

小さい頃から法事や墓参りでお寺さんとは付き合いがあります、

そういう意味では仏教徒の縁が一番深いわけですが、

仏教を信心している訳ではありません

仏教の勉強をしたわけでもないし、自身の結婚式も仏式ではありませんでした、

自覚意識としては無宗教だし、

実態としても無宗教という言葉がピッタリくる生活です、

でもね、、、歳をとると、いろんな事に心を動かされるようになります

これは、こちらの記事 ⇒

歳を重ねると、感情を抑制する脳の機能が減退するので、

感情がもろに露わになることがあります、

怒りっぽくなる、

愚痴をこぼす、

独り言を言う、

涙もろくなる、

感動しやすくなる、

いろんな事に感銘を受け、心が動くことが多くなったような気がします、

脳梗塞など他の要因もありますが、加齢により心の動きが激しくなりやすい、

という事です、

無宗教ですが、たまに仏教用語に触れると、ふと心を動かされることがあります、

仏教以外の宗教でも、その教えの端くれに触れるだけで、

ちょっと心が動かされる、という事もがあります、

で、今日のテーマは『五観の偈』

これ、知りませんでした、

俳優の内野聖陽さんがこの『五観の偈』の話をされているTV番組をたまたま視聴、

内野さん、お寺の住職の息子さんなんですね、

道理で、お名前がなにやら仏教用語っぽい、

内野さん、食事の前に必ずこの『五観の偈』を唱えてからご飯を食べていたそうです、

もちろん、子供ですからその真の意味は分かるはずもなく、ただただ唱えていたそうです、

でも、歳を重ねると、

この『五観の偈』がとても良いことを教えてくれていることに気付いてきたそうです、

分かる、分かる、その感じ、

歳をとって分かる物事のホントの価値とか、

ホントの意味とか、

良さの真髄とか、

あるよね~、こういう事って、と心が動きました、

で、『五観の偈』、調べました、便利な世の中です、

『五観の偈』とはこれです、ウイキペディアから転載しました、

一 計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼の来処を量る。
二 忖己德行 全缺應供 : 己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
三 防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
四 正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。
五 為成道故 今受此食 : 成道の為の故に今この食を受く。

なるほど、良き教えであります、、、、

、、、そんな訳はなく、

このままではほとんど理解できないのが、ホントのところ、

で、これを現代語に翻訳すると、

一、この食事がどうしてできたかを考え、食事が調うまでの多くの人々の働きに感謝をいたします。
二、自分の行いが、この食を頂くに価するものであるかどうか反省します。
三、心を正しく保ち、あやまった行いを避けるために、貪など三つの過ちを持たないことを誓います。
四、食とは良薬なのであり、身体をやしない、正しい健康を得るために頂くのです。
五、今この食事を頂くのは、己の道を成し遂げるためです。

こんな感じになるそうです、

なるほど、食事をする前に唱える意味が良く分かりました、

宗派や時代により文の違い、解釈の違いもあるようですが、

一、 なんかは、現代の食べる前の言葉=いただきます の原典のように感じますね、

二、 や 四、も、現代の社会生活や、食生活に通じる戒めにも読めます、

先人の教えは大切やなあ、とか、

仏教用語っていろいろためになりますわ、とか素直に思える韻文です、

これを空で唱えることが出来るようになろう!

とか思っても、それはなかなか難しい、

結構、言いっぱなしのエエ加減な奴です、

でも、まあ、こういう事もあるんだな、

こういう事に心を動かして生きていくのも、まあ悪くはない、

とか、思った次第であります、南無阿弥陀仏、、、
(なんでやねん!^^)



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