blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

犠牲とは

2015-06-25 23:53:09 | 日記
昨年の広島市の土砂災害や御嶽山の噴火でも多くの方々が犠牲になりました。
今年も容赦なく各地で噴火などが起きているので、つい昨年のことすら忘れられがちになりますが、被災地や被災者と呼ばれる方々はなかなか減らないのが現状です。

ずいぶん前に買ってあった、映画「黒部の太陽」のブルーレイ版を最近になってようやく見ました。
映画のほとんどは長野県大町市と黒部ダムを結ぶ「関電トンネル」の工事の苦闘を描いてあり、実に171人という犠牲者の多くはトンネル工事中の破砕帯からの大量出水によって亡くなられています。
今の世の中であればこれだけの死者を出しながらなお工事を継続することは理解を得られにくいとは思いますが、高度成長期の電力事情は逼迫しており、関西電力としては黒部はどうしても開発しなくてはならなかった山でした。

黒部ダムは富山県内にありながら関西電力のダムであり電気は全部大阪の方に行っているではないかというツッコミはさておき、これだけの犠牲の上に現在の便利な生活があり、かつ私たちが気軽に「観光地」として訪れることができるのは紛れもない事実です。
反面で、犠牲者の方々にはそれぞれ家族や親類があり、その数の何百倍もの悲しみがあったことも事実です。
このような破格のプロジェクトに情熱を捧げた企業に敬意を払うと同時に、あまりにも多い犠牲者のことを思うと、映画を見終わった後は何とも表現のしようのない気持ちになりました。
ダムの傍らには一人一人の名前が刻まれた慰霊碑がありますので、過去を知らない私は、今度訪れる時にはせめてもの感謝を捧げることにしようと思います。

先の戦争によってわが国はおびただしい犠牲を払いました。
しかし、そのおかげで今の平和な姿があることを忘れてはなりません。
また、戦後に白人支配から離れて独立を成し遂げた多くの国々は、有色人種である日本人が勇敢に戦ったことに勇気を与えられたと感謝してくれています。
欧米列強の経済封鎖に対抗するため戦争に打って出ざるを得なくなり(あのマッカーサーが帰国後にそう証言しております)、膨大な代償を払うことになったわが国ですが、後の世の中のために多大な貢献をしたことも忘れてはなりません。

もちろん戦争など起きて欲しくはなく、正当化するつもりもなく、どんな理由があっても戦争は悲惨なものであるのは映画の2本3本見るだけでも分かります。
では、今後絶対に戦争を起こさないためにどうしたらいいかを考えるのが現在生きている者の務めです。
残念ながら軍事バランスで辛うじて平和が保たれている現実を直視すれば、イザという時の備えもまかりならぬという一部の言い分にはどうやっても賛同しかねます。
国政の場で不毛な論議ばかりが続いているのはつくづく残念なことです。
わが国以外のどこの国も以前から犠牲を払って国を守っているのですから。

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