blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

怒らないのはなぜ

2017-06-23 20:37:00 | 日記
今週の仕事も無事終わった。
無事ではあったが、気分的に今ひとつテンションが上がらず、クルマに例えれば6速に入らないまま終わった感じだ。
そういう意味では長い長い5日間だった。
任務を果たせなかったわけではないが、完全燃焼できたとは言い難い、悔いが残る残念な週だった。

私は、幸か不幸か雑多な環境を経験してきた分、出会った人間の「種類」も多い。
武器は気合と大きな声のみという絶滅危惧種も含んだ「体育会系」は言うまでもなく、吐き出される言葉の一つ一つが実はほとんどウソか間違いという手の施しようのない「ペテン師」、内心では他人を信用していないくせに一人になるのを恐れ他人にベタベタくっついていく「かまってちゃん」など、挙げていったらキリがない。

最近はどうにも分類のしようがない種もいて、とにかく何を言われても怒らない。
年齢的には若い人間に多少うるさいことを言っても何ら問題はないのだが、そういうことは全く言わないし、大声をあげるような場面は少なくとも私は見たことがない。
よくよく観察していれば、若い者にモノ申すどころか、ふた回り近くも年下の人間から相当バカにした物言いを毎日のようにされている。
私に関して言えば、本人の仕事以外のアイドルや旅行の話題の時だけはやたら元気な姿を知っているから、仕事の動きが悪い時はこちらが大きな声を出して尻を叩くこともあるような状況だ。

ここまでの扱いを受けてなぜ怒りを露わにしないのか。
十分に怒っていいレベルの言動をまともに受けてなお、本人はいつもただただ薄気味悪いニヤついた表情を見せるだけなのである。
本人の中では「大人の対応」を気取っているのかもしれないが、それはややもすると周囲に軽く見られているという現実に必死に耐えている表情にも取れる。
とにもかくにも、今のままでは本人にとっては間違いなく損である。
何か意図して攻撃を受けたと感じたら、少なくとも言葉の上で怒りを表現しないことには、周囲は怒りの気持ちに気づくことができず、時間の経過とともに過去の実績や積み重ねた年齢なりの「威厳」は失われ、この人には何を言ってもいいと完全にナメられてしまう。
常々「職場=戦場」と書き、時には怒りのフル活用も辞さない私のような気性の荒い人間からすると、怒りという抑止力を持たない当人の姿は見ていて何とももどかしい。
まるで隣の国から何を言われても「甚だ遺憾」やら「厳重に抗議」くらいのことしか言えない我が国の外交と同じではないか。

当人は、周囲に軽く見られていることは頭の悪い人ではないのでとうに分かっているはずである。
軽く見られるのは、年齢の節目を超えてすでに正社員扱いでなくなっているから、という形式的な理由では決してない。
私の富山での「師匠」は口うるさいまま正社員扱いから外れ、しかし退職するまで口うるさいままだった。
反面で情に厚いところもあって、何度かは食事に誘ってもくれ、私が体を崩した時には本気で心配をしてくれたというから、ナメるとか軽く見るなどできるわけがないではないか。
周囲は表面的な肩書きや立場だけで人物を評価するほど単純ではない。
言葉でまったく怒りを表現しないことに加えて、自ら進んで軽く見られるような言動を繰り返すから軽く見られるのである。
多少怒っても寿命が縮んだりはしない。
人望なくナメられたまま職業人を終えることになるくらいなら、ブンブン怒って「いいひと」をやめればよいのである。
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