毎月最終日はその月を振り返る。
元日から能登半島では大地震があって、もう1カ月とは早いものだ。
いまだ被害の全容は分かっていないし、最も被害の大きかった石川県のみならず我が富山県でもこれから新たな被害(液状化による家屋への影響など)が出るのではないかとも言われる。
復興などという安直な言葉は今は通用しない。
まずは元通りの生活を取り戻す=復旧が最優先の課題ではあろう。
安直と言えば「がんばろう〇〇」などという物言いがまたも大手を振ってしまうお寒い現状がある。
今さらがんばろうなどと言われなくても北陸は十分がんばってきた。
さすがに今は公に表現されることはないが、北陸も含めた日本海側はかつてはウラ二ホンなどと呼ばれて容赦なく根拠なく蔑まれてきた。
それでも「住みやすさランキング」の類には北陸地方の自治体が軒並み上位に顔を出す。
冬季の降雪による生活の不便さはあるし、実質クルマがなければ生活が…という部分はあるにせよ、何らかの基準を満たしているからランキングに出てくるので各市町村単位ではがんばっているところが多いと言える。
さて、年が明けてひと月、地震の影響もあるのかメーカーさんも忙しくなり当然に我が現場も忙しくなった。
仕事があるのはありがたいことだが、現場仕事で毎日20時前後というのは隔週土曜休という条件も考えるとかなりこたえる。
仕事から帰ると翌日に備えて早く寝ることが主になってしまうし、休日もひたすら疲れを取ることに専念せざるを得なかった。
長かった正月休みには写真撮影のために外に出ることもあったが仕事始め以降はあまり外に出ることはなく写真がほとんど増えなかったのは残念だ。
正月早々、大地震が私自身何度も行ったことがある地域で起こるという悲しい出来事があったとはいうものの、年末年始のまる1週間が休日であったことはずいぶん恵まれていると感じたが、最近になって思わぬ落とし穴があった。
我が現場は12月29日~1月4日までのちょうど1週間が休みであったが、そのうち12月の29~30日、1月4日の計3日分の休暇届けを出せと言ってきた。
富山の我が現場ではなく別の現場がその3日間は働いていたので、それに合わせるということらしい。
形式だけ合わせるのかと思えばそうではなく、有給休暇日数のある社員は有給日数を3日ゴッソリ削られ、まだ有給休暇がない社員は3日間分がまるまる欠勤扱いとなり給料から小さくはない金額が控除された。
まだ歴の浅い私は、せっかくの年末調整戻り分がほぼ全額吹っ飛ぶ形となり残業の多かった年末年始を考えて多少は期待していた手取り額が案外なものになってしまった。
高齢化著しい我が職場にあっては、仕事は生活のためと割り切っている層が大半である。
であればこそ、お金の話は後出しでコッソリやるのではなく事前に説明があるべきだった。
現場の責任者の指示で与えられた休日によって有給日数もしくは現金収入が後から削られるなどというのは他国であれば暴動モノだろう。
朝礼の話を聞いていれば、我が現場単体でも必ずしも余裕のある業績ではないし、他の拠点まで広げれば大変厳しいようではある。
余裕がないと言えば、もともとの給与体系が各県の最低賃金を「意識」したものになっている時点でお察しということであり、給与明細に謎の手当てがくっついてきて(=最低賃金が上がり基本給の部分が最低賃金に満たなくなった分を補正)社員から疑問の声が出てようやく説明があるというありさまで、世の賃上げの波にはハナから乗る気がないか乗れる状況にはないということであろう。
間もなく今の現場に来てから半年が経とうとしているが、仕事にも慣れた今のタイミングで見えてきたものも多くあり、当初とは会社の「見え方」が変化してきたことは否めない。
雇う方も雇われる方も最初の半年間くらいは「互いにとっての」お試し期間であって(いわゆる試用期間の多くは6カ月)雇用側が今後ダメだと思えば労働者はクビになるし、労働者側がダメだと思えばその意思を伝えて会社を捨て去ることができる。
6か月という期間は会社というところの状況を知るのにはちょうどいい時間である。
もうすぐその節目を迎えようという今、特段の話し合いがなければそのまま継続とはなるだろうが、継続でもそうでなくても、私としてはできることを日々悔いなくやるのみである。
やれるだけのことをやって仮にダメであっても人生が終わるわけではない。
今の環境に縁がなくても、きっとどこかでまた輝くことができるだろう。
元日から能登半島では大地震があって、もう1カ月とは早いものだ。
いまだ被害の全容は分かっていないし、最も被害の大きかった石川県のみならず我が富山県でもこれから新たな被害(液状化による家屋への影響など)が出るのではないかとも言われる。
復興などという安直な言葉は今は通用しない。
まずは元通りの生活を取り戻す=復旧が最優先の課題ではあろう。
安直と言えば「がんばろう〇〇」などという物言いがまたも大手を振ってしまうお寒い現状がある。
今さらがんばろうなどと言われなくても北陸は十分がんばってきた。
さすがに今は公に表現されることはないが、北陸も含めた日本海側はかつてはウラ二ホンなどと呼ばれて容赦なく根拠なく蔑まれてきた。
それでも「住みやすさランキング」の類には北陸地方の自治体が軒並み上位に顔を出す。
冬季の降雪による生活の不便さはあるし、実質クルマがなければ生活が…という部分はあるにせよ、何らかの基準を満たしているからランキングに出てくるので各市町村単位ではがんばっているところが多いと言える。
さて、年が明けてひと月、地震の影響もあるのかメーカーさんも忙しくなり当然に我が現場も忙しくなった。
仕事があるのはありがたいことだが、現場仕事で毎日20時前後というのは隔週土曜休という条件も考えるとかなりこたえる。
仕事から帰ると翌日に備えて早く寝ることが主になってしまうし、休日もひたすら疲れを取ることに専念せざるを得なかった。
長かった正月休みには写真撮影のために外に出ることもあったが仕事始め以降はあまり外に出ることはなく写真がほとんど増えなかったのは残念だ。
正月早々、大地震が私自身何度も行ったことがある地域で起こるという悲しい出来事があったとはいうものの、年末年始のまる1週間が休日であったことはずいぶん恵まれていると感じたが、最近になって思わぬ落とし穴があった。
我が現場は12月29日~1月4日までのちょうど1週間が休みであったが、そのうち12月の29~30日、1月4日の計3日分の休暇届けを出せと言ってきた。
富山の我が現場ではなく別の現場がその3日間は働いていたので、それに合わせるということらしい。
形式だけ合わせるのかと思えばそうではなく、有給休暇日数のある社員は有給日数を3日ゴッソリ削られ、まだ有給休暇がない社員は3日間分がまるまる欠勤扱いとなり給料から小さくはない金額が控除された。
まだ歴の浅い私は、せっかくの年末調整戻り分がほぼ全額吹っ飛ぶ形となり残業の多かった年末年始を考えて多少は期待していた手取り額が案外なものになってしまった。
高齢化著しい我が職場にあっては、仕事は生活のためと割り切っている層が大半である。
であればこそ、お金の話は後出しでコッソリやるのではなく事前に説明があるべきだった。
現場の責任者の指示で与えられた休日によって有給日数もしくは現金収入が後から削られるなどというのは他国であれば暴動モノだろう。
朝礼の話を聞いていれば、我が現場単体でも必ずしも余裕のある業績ではないし、他の拠点まで広げれば大変厳しいようではある。
余裕がないと言えば、もともとの給与体系が各県の最低賃金を「意識」したものになっている時点でお察しということであり、給与明細に謎の手当てがくっついてきて(=最低賃金が上がり基本給の部分が最低賃金に満たなくなった分を補正)社員から疑問の声が出てようやく説明があるというありさまで、世の賃上げの波にはハナから乗る気がないか乗れる状況にはないということであろう。
間もなく今の現場に来てから半年が経とうとしているが、仕事にも慣れた今のタイミングで見えてきたものも多くあり、当初とは会社の「見え方」が変化してきたことは否めない。
雇う方も雇われる方も最初の半年間くらいは「互いにとっての」お試し期間であって(いわゆる試用期間の多くは6カ月)雇用側が今後ダメだと思えば労働者はクビになるし、労働者側がダメだと思えばその意思を伝えて会社を捨て去ることができる。
6か月という期間は会社というところの状況を知るのにはちょうどいい時間である。
もうすぐその節目を迎えようという今、特段の話し合いがなければそのまま継続とはなるだろうが、継続でもそうでなくても、私としてはできることを日々悔いなくやるのみである。
やれるだけのことをやって仮にダメであっても人生が終わるわけではない。
今の環境に縁がなくても、きっとどこかでまた輝くことができるだろう。