会話をしていると何気に「絶対」という言葉を多用する人間がいる。
自己主張ばかりがもてはやされる(?)現代、この言葉の持つインパクトは絶大である。
絶対とは全であるから、反論が入り込む余地がない。
全で攻めて来られたら、一部の例外を考えたい人間は黙り込むしかない。
私の勤務先では、似たような言葉で「完全」がよく使われる。
とにかく何から何まで、過保護な親のように現場を管理していないと気が済まない。
会社として現場に何かの作業をお願いするのは普通にあるが、作業の完了をいちいちFAX報告しなければならないことが多い。
通常ならお願いをして終わりだが、「本当にやったか」をどうしても知りたいようだ。
つくづく現場は信用されていないと思う一方、FAX代だけでもバカにならないだろうにといらぬ心配をしたくもなる。
本来ならこういうところの経費から削らなくてはいけないはずだ。
「絶対」や「完全」という言葉には、どうも危険なにおいを感じてしまう。
シロかクロか、0か100かという思想は、自分の信念や主張ばかりが前面に出て他を受け入れることがない。
原理主義と呼ばれるものがまさしくこれである。
自分たちの主張だけが正しいと信じれば、意見の対立するものは排除や攻撃の対象となる。
わがバンドにも、自分の意見が「絶対」だと断言した御仁がいる。
この御仁のイメージに合わないプレイはことごとくチェックの対象になり、修正を余儀なくされる。
意見の出方はまことに唐突で、各人のそれまでの創意工夫などはまったくお構いなしだ。
本人は「バンドのためによかれ」などと言っているが、決め付けるようなものの言い方からしても私には到底信じられない。
1人の完璧主義者が、バンドを好きなように振り回しているのがここ最近の現状だ。
完璧な演奏だけがお客さんを感動させられると考えているとしたら、嘆かわしい話だ。
バンドの現状がどうあれ、29日にはライブがある。
見てくれる方のために失礼なプレイだけはできないが、私にとっては最後のステージ、とにかく悔いのないようにやるだけだ。
自己主張ばかりがもてはやされる(?)現代、この言葉の持つインパクトは絶大である。
絶対とは全であるから、反論が入り込む余地がない。
全で攻めて来られたら、一部の例外を考えたい人間は黙り込むしかない。
私の勤務先では、似たような言葉で「完全」がよく使われる。
とにかく何から何まで、過保護な親のように現場を管理していないと気が済まない。
会社として現場に何かの作業をお願いするのは普通にあるが、作業の完了をいちいちFAX報告しなければならないことが多い。
通常ならお願いをして終わりだが、「本当にやったか」をどうしても知りたいようだ。
つくづく現場は信用されていないと思う一方、FAX代だけでもバカにならないだろうにといらぬ心配をしたくもなる。
本来ならこういうところの経費から削らなくてはいけないはずだ。
「絶対」や「完全」という言葉には、どうも危険なにおいを感じてしまう。
シロかクロか、0か100かという思想は、自分の信念や主張ばかりが前面に出て他を受け入れることがない。
原理主義と呼ばれるものがまさしくこれである。
自分たちの主張だけが正しいと信じれば、意見の対立するものは排除や攻撃の対象となる。
わがバンドにも、自分の意見が「絶対」だと断言した御仁がいる。
この御仁のイメージに合わないプレイはことごとくチェックの対象になり、修正を余儀なくされる。
意見の出方はまことに唐突で、各人のそれまでの創意工夫などはまったくお構いなしだ。
本人は「バンドのためによかれ」などと言っているが、決め付けるようなものの言い方からしても私には到底信じられない。
1人の完璧主義者が、バンドを好きなように振り回しているのがここ最近の現状だ。
完璧な演奏だけがお客さんを感動させられると考えているとしたら、嘆かわしい話だ。
バンドの現状がどうあれ、29日にはライブがある。
見てくれる方のために失礼なプレイだけはできないが、私にとっては最後のステージ、とにかく悔いのないようにやるだけだ。