blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

あと少し

2018-05-13 23:54:40 | 休日
こちらに来てから2年半、思いがけず体を悪くして休みをもらい1ヶ月半が経った。
重い状態からは早々に脱し、少しずつ外出の機会も増やし、あとはだいたい半月後の復帰を待つばかりである。
目に見えないことだけに油断はできないが、仕事から離れて休むことで活力も戻り、外出先でもあれこれ考えを巡らせながらアクティブに動くことができるようになった。
復帰直前には会社に出入りのお医者様に状況を報告し復帰への確認を含めた話し合いをもつ。
会社の上司からも何か話はあるだろう。
とりあえずは、主治医の診断で定められた期限から延びることなく復帰にこぎつけられそうで何よりである。

ただしそこはプロの世界、いくら本人に悪気がないとはいえ、病気で長く会社を空けた人間が休む前と同じ役割を与えられるか、同じような期待を持って扱ってもらえるかは不透明だ。
社内を見渡せば、ほんのわずかな仕事しか与えられず時間を持て余すようにしているベテランの社員も数人いる。
もちろんそんな扱いを受けるまでになったのには理由があるのだろうが、一方では毎日遅くまで残って働く人、他の部署からの手伝いをもらわないと回らない部署など全般的には忙しい中で、毎日簡単な掃除や草むしりだけで終わる人もいる。

復帰にあたってどのような話になるかは分からないが、体調は回復しても元どおりの役割になるかは話を聞くまで謎である。
長く一つのポジションを空け、代わりにあくせく動いてくれた人には感謝する一方、復帰するからすんなり戻してもらえると期待できるほど甘くはない。
上に書いたような「生かさず殺さず」の扱いを受けることだって、会社だから十分にある。
本人のやる気や意思とは無関係に、役割としては不本意な毎日が続くかもしれないし、もっと言えばちょうど四半期の第2クールに入る7月の頭をにらんで当地での役割を失い、他の事業所へ動くことも考えられるのだ。

この時点で言えるのは、復帰はさせてもらえるかもしれないが、少なくとも今の会社の中では「上がり目」ということになるとほぼ期待は薄くなった。
事務方をやって倒れ、配慮をもらって当地に移ったのにやはり倒れた人間をアテにできるほど会社には余裕はない。
「普通とは違う」と今の時点で思われているなら、この組織の中にいても未来はそれほど明るくない。
出世もせず給料もそれほど上がらず、しかし社会的な要請から支出は増えるばかりで、生活水準はむしろ下がる危険のほうが大きい。

そこまでを見通すと、今の流れそのままでただただ残りの人生を送ることはあまりにもったいなく思えてくる。
貴重な休みをもらっている間に、応分の投資もしながら、今の生活にプラスになる、人生に彩りを添えられるような何かを求めて動いてはきた。
今はまだ準備段階だから何かを書ける状況にはないが、要は残りの人生、仕事と並行でもいいから「好きなこと」を思い切りやると決めたのである。
生活や待遇が上向かなくても、心から好きなことをやって何か形のあるものをこの人生に残すことができるなら、今まで生きてきた意味もあるし、やり切ったと心から思えて人生を終われるのではないか。

体はひとつ、人生は1回。
誰にも平等に与えられた時間、今からでも私の時間を少しでも輝かせ、小さくても一輪でも花が咲くようなものにできたら本望だ。
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