blog Donbiki-Style

筆者:どんびき(地域によりカエルの意)

危機感

2007-09-25 21:07:17 | 音楽
TVに宮崎県の東国原知事が出ていて、県内の高校生を前に講演している姿を見た。
知事が東京に初めて出た頃は、宮崎県というものが本当に知られていないことに愕然としたという。
私も学生として県外に出たとき、同じような思いをした。
富山県といっても、場所からして知らない人が大半だったのを覚えている。
学生生活の中で、地元をメジャーにしていきたいという思いが出て、最初の就職は県内に本社を置く大企業を選んだ。
結果的にこれは大失敗に終わるわけだが。

さて、知事の小学校高学年時代の夢は「お笑い芸人と政治家」ということであった。
結局は両方をかなえてしまった知事だが、そのうちで政治を志した要因は「危機感」にあった。
宮崎県の活性化を切に願う一心から、大学にも通って地方自治の勉強をし、無謀だと言われながら知事選に出て勝った。
その後の知事としての活躍は周知の通りである。
特に鶏インフルエンザへの対応は見事だったが、これもやはり農業がダメになると宮崎がダメになるという危機感の現われであったろう。

私が住む魚津市は、20年くらい前までは5万都市であった。
今は明らかに人口は減少傾向にあり、現状は4万6千人程度である。
細かい分析は専門外なので避けるけれど、北陸新幹線の駅もおとなりの黒部市に行ってしまうなど、放っておくと「衰退」の2文字がかすんで見えてくるような気がしている。
一般住民の流れは明らかに国道沿いの郊外に向いており、旧市街の凋落はずいぶん前から目に見えている。
地方都市としては観光資源に恵まれている魚津市ではあるけれど、蜃気楼など自然現象頼みの一面は否めない。
本当に魚津が活力を失ってしまう前に、市民レベルでの危機感の共有が急務だ。

私のような組織も持たない小市民が地元のために何ができるか考えたとき、これはもう歌でいくしかないと思った。
私は前向きでポップな曲は苦手だ。
だったら、飲み屋が多い街の特長を歌にしてみてはどうか。
思えばこれが「雨の柿の木割り」の始まりで、私なりの危機感の発露であった。

曲を作るという行為は、私自身の危機感の現われでもあった。
最初の職選びの失敗に始まり、これまでプロとして何の実績らしいものも残さず、流されるようにして生きてきた。
このままでは、人生で何を残すこともなく終わっていってしまう。
残された人生で、自分を生かす形で何を残していけるのか。
プライドや経歴や固定観念その他すべてを取り払い、真っ白な中から本当に自分がやりたい、そしてできることは何なのかを考えた。
そういった思いが「雨の柿の木割り」にはギッシリ詰まっている。

1曲だけで終わるつもりはないが、この曲を死ぬまで歌い続けることが私に課せられた使命だ。
使命を悟った今、恐れるものは何もない。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 明日は休み | トップ | 終戦。 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
思いは伝わる (ファントム光一)
2007-09-26 00:03:48
私自身怠け者なので、「続ける」ということが、どれ程難しいか知っています。まぁ、好きなことはつづくしそのためには苦労も厭わずで。なので気長にいくのがよいおもうよ。
返信する
ありがとうございます。 (ワイドビューひだ)
2007-09-26 10:23:24
ファントム光一 様

コメントありがとうございます。
ようやく「続けられるもの」を見つけたという感じですかね。
今までが行き当たりばったり過ぎたもので・・・。

返信する

音楽」カテゴリの最新記事