私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

悟りは逃げ道ではありません

2014年04月18日 10時07分25秒 | 悟り
◇悟りは逃げ道ではありません◇

意図して悟りの道に入られる方のその動機には、多かれ少なかれ何らかの苦しみやもどかしさがあり、それらから逃れたいという衝動があります。
その苦しみ等の内容は、何らかの困難に直面し、苦しみを抱えてしまい、それから逃れようとして悟りを求められる方や、自分自身やその心に対する何らかの不足感やもどかしさや等を抱えて悟りを求められる方など様々だと思います。
このように、意図して悟りを求める心には何らかの苦があり、それから逃れようとする衝動があります。
そうやって悟りの道に入られること自体は当たり前のことなのです。

しかし、そうやって悟りを求められる心に、微妙で根深い問題が潜んでいることがよくあるのです。
とても微妙なところなので、私(慧空)自身どこまでうまくそれを表現できるか分かりませんが、今日はそれについて書いてみたいと思います。

その問題点の一つの切り口として、意識的か無意識かは別として、悟りの道を苦しみからの逃げ道として捉えてしまわれている方が多いのではないかと思うのです。
苦や、苦から逃れたいという衝動から悟りの道に入られる方が大半でしょうから、悟りを逃げ道として捉えてしまうのは普通の感覚であり無理のないことなのですが、悟りに対するその心持ちが悟りの道を歩む上での微妙かつ根深い障害となり兼ねないのです。

それはどうしてかと言いますと、まずひとつとして、悟りを逃げ道として捉えられている方は、悟りや悟りを教えるマスターへの過剰な依存心(期待も含みます)を生じさせてしまうのです。
過剰な依存心は、悟りの道を進む際の大きな障害になるのです。
真っ直ぐに立ち、自立した心こそが、悟りの道をどこまでも進んでいけるのです。

悟りの道は、楽になるための逃げ道でもなく、何かを得るためのものでもありません。
私という存在の本質に向かう入り口なのです。
入り口ですから、逃げの姿勢や何かに頼ってしまう弱腰の姿勢ではなく、むしろ進んでいくんだ、追求していくんだという攻めの姿勢が必要なのです。

また、悟りの道を逃げ道として捉えている方の中には、その方が本当に直面すべきは悟りではなく、その方の目の前にある現実の課題であり、そこで生じるその方の心の動きである場合があるのです。
安易に現実から逃れようとするのではなく、その現実の状況と向き合い、またその状況に関連して私の中に起こってくる感情や考えと向き合っていただきたいと思います。
それこそが、本当の、本当の悟りの道なのです。

逃げ道から入り口へと考え方を180度転換してください!(^o^)


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読んで頂いてありがとうございました。

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