私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

しっかりと生きることが悟りの種を育む(2)

2014年04月15日 11時28分23秒 | 悟り
◇しっかりと生きることが悟りの種を育む(2)◇

昨日の記事の続きです。

悟りの道に入る前にどうしてしっかりとした自我をつくっておく必要があるのかについて補足したいと思います。
しっかりとした自我とは、内面に向けられた意識の強いベクトルを持った自我のことです。

どうしてかと言いますと、どれ程深い悟りが得られるかは、悟りの道に入るときの内面に向かう意識のベクトルの強さ(これを初速と言ってもいいです)と大きな関係があるのです。

意図して悟りの道を進む場合、自我の目覚めと真我の第一段階の目覚めを得る天界層の悟りまでは、自我の力(悟りへの意思)を使って悟りの道を進むため、まさに自我の意識の方向性とその強さが重要となります。
また、真我の第二段階の覚醒を得て梵天界層の悟りを得るときも、自我の力を使うことができ、ここでも自我の意識の方向性とその強さが重要となります。

ですが、真我の第二段階の覚醒を得たとき、それに伴って自我が滅せられてしまうため、そこからは自我の力(意思の力)を使えないのです。
最後の解脱の悟りを得るには、言わばそれまで推進してきた慣性により進むしかないのです。
ところが、最後の解脱の悟りに必要なだけの推進力が残っていないケースが多いのです。

このように、悟りの道を進む推進力が尽きると、その時点で満足が生じ、その段階の悟りを掴んでしまうのです。
悟りを掴んでしまうと、そこで悟りの行程が終わってしまうのです。

次に、しっかりとした自我をつくるには、どうして善行やしっかりと生きることが大切なのかについて書きます。

まず、なぜ善行なのかと言いますと、結果として悪行より善行の方が欲望や執着(カルマ)、そしてそれらの連鎖が薄くなりやすいからです。
欲望や執着は、主に外向きの意識の展開ですから、そのような外向きの意識の展開の比重が大きいと、強い内向きの意識のベクトルがつくられないのです。

次に、どうしてしっかりと生きることが大切なのかと言いますと、多くの場合、この地上に肉体を持って生まれてくる存在は、各自が前世から引き継いだ人生の課題(これも執着でありカルマです)を持って生まれてきているからです。
また、その課題の中には意思の力により変更できるものと変更が効かないものとがあるのです。
ですから、変更の効かない課題については、各自が納得できる程にしっかりと取り組む必要がどうしてもあるのです。
納得が得られないと、仮に悟りの道に入ったとしても、浅い悟りしか得られないのです。
なぜなら、納得できるまでまだ何回でもそれに取り組む必要があり、場合によっては何回でも生まれてくる必要があるからなのです。

課題をやり終えたときに、内面に向かう本当に強い意識のベクトルが自ずと生じてくるようになっています。

ですから、悪行よりは善行、そしてしっかりと生きることが大切なのです。


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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (2)
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