◇大悟を得る(天から梵天へ)(1)◇
今回の記事では、天界の悟りから梵天界の悟りである大悟に向かうときに気を付けて頂きたい点等について書いてみたいと思います。
なお、天界の悟りとは、以前、悟りの階梯(1)、(2)、(3)、(4)という記事でも書きましたが、真我の外縁に触れる真我の第一段階の覚醒が得られているとともに、私という自我を捉えられている状態です。
この天界の悟り階層は、複雑であるとともに厚みも大きいため、大悟に挑むための準備段階と、実際に大悟に挑む段階とに分けて書きたいと思います。
複雑だと言いましたのは、この悟り階層におられる方の多くがまだ多種多様な考えを握りしめた方がおられると言う意味です。
また厚みが大きいと言いましたのは、この悟り階層におられる方の多くがまだ多くの考えを握りしめておられると言う意味です。
今日は、この記事の前半部分である大悟に挑むための準備段階について書きたいと思います。
この天界の悟り階層は、まだ良い悪い等で代表される二元の迷いの中なのです。
この悟り階層に到達される方の多くは、これが正しい、これが良い、こうあるべきだ等の種々の二元的な考えを沢山掴んでいます。
ですから、そのような方はまず、掴んでいる二元的な考えを手放していく必要があります。
ではその手放しをどうやるのかと言いますと、それは多くの場合、日常的な体験の中でやっていくしかないのです。
出家等をして修行をされている方についても、その方の日常である修行生活の中でそれをやっていくしかないのです。
そうやって、二元的な考えの大半を手放すことができたら、この点については準備完了となります。
それと、もう一つ大きな要素としては、この悟り階層におられる方の多くは、悟りの道を真っ直ぐに進んでいくことよりも、まだ他にやりたいことや、やるべきことがそれなりに残っておられます。
深く自覚をやられ、自分に何かをやらせようとしている考え(執着あるいはカルマと言ってもいいです)に気づき、それを手放すことで、自分がやりたい又はやるべきと感じることを解放する方法もありますが、これは多くの場合難しいのです。
ですから、この悟り階層におられる方も、まだ悟りの道に入っていない一般の方と同様に、ご自分がやりたい又はやるべきと感じることをやられることで、その執着を解放していく必要があるのです。
ご自分ではその実感がなく、やりたいこともやるべきこともないと無いと感じられるかと思いますが、この悟り階層で留まって日常を送っておられることそれ自体が、まだそこでやるべきことがあることを物語っているとも言えるのです。
やり残した執着があると、大悟への発心が芽生えないのです。
そう言った執着を解放し、大悟へ向かう準備が完了することで、それに伴うようにして、大悟に向けた発心が芽生えてきます。
さらにもう一つ、この悟り階層を抜け出していく上で大きな障害となり得るものがあります。
それは真我の感覚による迷いです。
この迷いは、真我の第一段階の覚醒が得られることで生じるものであり、この悟り階層特有のものです。
真我の外縁は至福感、統一感、喜び等の感覚が強烈に前面に出て来やすいため、それを掴んでしまい、また酔ってしまい、延々と迷ってしまう方がとても多いのです。
意識のチャンネルを真我に合わせると、私という自我の意識が抑制され、それに変わって至福感や、愛で満たされる感覚に比較的簡単になってしまうため、これが究極の意識状態に違いない、あるいは、これが解脱の悟りだと誤解して、そこに留まってしまうのです。
「至福」、「愛」、「ひとつ」、「神」、「真我」、「根源」等の言葉(考え)が出てくるうちは、まだまだ迷いの中なのです。
「あるがまま」、「ただ在る」、「いまここ」も迷いの中です。
「愛」や「ひとつ」等の考えをそれがいいものだと思い、握りしめ、それらに意識を向けておられるのです。
それらの考えに囚われてしまっているのです。
「愛」や「ひとつ」に意識を向けるのではなく、「私」に意識を向けて頂きたいと思います。
そして、「私」がそれらの考えを握りしめていることに気づき、その迷いから脱して頂きたいと思います。
あなたの自我は決して滅せられてはいません。
そもそも、存在が残っている限り、自我が滅せられることはあり得ないのです。
例え、最終的な悟りである解脱の悟りを得ても、まだ存在が残っている以上、最低限の自我は残るのです。
自我が残っているのですから、いろいろな感情も欲求も、分別等の思考もそれなりに残ります。
自分の自我は滅せられたんだなどと早合点されずに、もう一度改めて、ご自分の意識とその動きをしっかりと確認して頂きいと思います。
これは私(慧空)の体験に基づくものですが、二元の迷いから抜け出していくとき、自分が普段何気なく行っている判断や選択についてそれを自覚し、検証、追求していくという作業がとても有効です。
この点について、このブログに記事を書いておりますので、どうぞご参照ください。
これです、「「判断」について吟味し、検証する」。
次は、実際に大悟に向けて挑むときのことについて書きます。
(つづきます)
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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今回の記事では、天界の悟りから梵天界の悟りである大悟に向かうときに気を付けて頂きたい点等について書いてみたいと思います。
なお、天界の悟りとは、以前、悟りの階梯(1)、(2)、(3)、(4)という記事でも書きましたが、真我の外縁に触れる真我の第一段階の覚醒が得られているとともに、私という自我を捉えられている状態です。
この天界の悟り階層は、複雑であるとともに厚みも大きいため、大悟に挑むための準備段階と、実際に大悟に挑む段階とに分けて書きたいと思います。
複雑だと言いましたのは、この悟り階層におられる方の多くがまだ多種多様な考えを握りしめた方がおられると言う意味です。
また厚みが大きいと言いましたのは、この悟り階層におられる方の多くがまだ多くの考えを握りしめておられると言う意味です。
今日は、この記事の前半部分である大悟に挑むための準備段階について書きたいと思います。
この天界の悟り階層は、まだ良い悪い等で代表される二元の迷いの中なのです。
この悟り階層に到達される方の多くは、これが正しい、これが良い、こうあるべきだ等の種々の二元的な考えを沢山掴んでいます。
ですから、そのような方はまず、掴んでいる二元的な考えを手放していく必要があります。
ではその手放しをどうやるのかと言いますと、それは多くの場合、日常的な体験の中でやっていくしかないのです。
出家等をして修行をされている方についても、その方の日常である修行生活の中でそれをやっていくしかないのです。
そうやって、二元的な考えの大半を手放すことができたら、この点については準備完了となります。
それと、もう一つ大きな要素としては、この悟り階層におられる方の多くは、悟りの道を真っ直ぐに進んでいくことよりも、まだ他にやりたいことや、やるべきことがそれなりに残っておられます。
深く自覚をやられ、自分に何かをやらせようとしている考え(執着あるいはカルマと言ってもいいです)に気づき、それを手放すことで、自分がやりたい又はやるべきと感じることを解放する方法もありますが、これは多くの場合難しいのです。
ですから、この悟り階層におられる方も、まだ悟りの道に入っていない一般の方と同様に、ご自分がやりたい又はやるべきと感じることをやられることで、その執着を解放していく必要があるのです。
ご自分ではその実感がなく、やりたいこともやるべきこともないと無いと感じられるかと思いますが、この悟り階層で留まって日常を送っておられることそれ自体が、まだそこでやるべきことがあることを物語っているとも言えるのです。
やり残した執着があると、大悟への発心が芽生えないのです。
そう言った執着を解放し、大悟へ向かう準備が完了することで、それに伴うようにして、大悟に向けた発心が芽生えてきます。
さらにもう一つ、この悟り階層を抜け出していく上で大きな障害となり得るものがあります。
それは真我の感覚による迷いです。
この迷いは、真我の第一段階の覚醒が得られることで生じるものであり、この悟り階層特有のものです。
真我の外縁は至福感、統一感、喜び等の感覚が強烈に前面に出て来やすいため、それを掴んでしまい、また酔ってしまい、延々と迷ってしまう方がとても多いのです。
意識のチャンネルを真我に合わせると、私という自我の意識が抑制され、それに変わって至福感や、愛で満たされる感覚に比較的簡単になってしまうため、これが究極の意識状態に違いない、あるいは、これが解脱の悟りだと誤解して、そこに留まってしまうのです。
「至福」、「愛」、「ひとつ」、「神」、「真我」、「根源」等の言葉(考え)が出てくるうちは、まだまだ迷いの中なのです。
「あるがまま」、「ただ在る」、「いまここ」も迷いの中です。
「愛」や「ひとつ」等の考えをそれがいいものだと思い、握りしめ、それらに意識を向けておられるのです。
それらの考えに囚われてしまっているのです。
「愛」や「ひとつ」に意識を向けるのではなく、「私」に意識を向けて頂きたいと思います。
そして、「私」がそれらの考えを握りしめていることに気づき、その迷いから脱して頂きたいと思います。
あなたの自我は決して滅せられてはいません。
そもそも、存在が残っている限り、自我が滅せられることはあり得ないのです。
例え、最終的な悟りである解脱の悟りを得ても、まだ存在が残っている以上、最低限の自我は残るのです。
自我が残っているのですから、いろいろな感情も欲求も、分別等の思考もそれなりに残ります。
自分の自我は滅せられたんだなどと早合点されずに、もう一度改めて、ご自分の意識とその動きをしっかりと確認して頂きいと思います。
これは私(慧空)の体験に基づくものですが、二元の迷いから抜け出していくとき、自分が普段何気なく行っている判断や選択についてそれを自覚し、検証、追求していくという作業がとても有効です。
この点について、このブログに記事を書いておりますので、どうぞご参照ください。
これです、「「判断」について吟味し、検証する」。
次は、実際に大悟に向けて挑むときのことについて書きます。
(つづきます)
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読んで頂いてありがとうございました。
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