◇「幸せ」という迷いからの脱却◇
至福も含めて「幸せ」という感覚はまだ迷いの中なんです、ということをどうお伝えしたらいいのか、ここ暫くの間考えていました。
しかし、この「幸せ」というのはとてもデリケートで誤解も招きやすく、また迷いも深いため、それをお伝えするための上手い切り口が見つからないでいました。
いくら考えても、また妙案を待っていても何も出てこないので、今日は思い切って書いてしまうことにします。(^o^)
結論から先に書いてしまいますと。
歓喜や至福を含めた幸福感などの「幸せ」という感覚は、まだ迷いの中なのです。
「幸せ」は、幸不幸の言葉で表されるように二元の迷いの中なのです。
しかし、悟りの道を歩まれる方々の多くが、この「幸せ」の迷いから抜け出すことができません。
どうしても、「幸せ」を求めてしまうのです。
求めれば求めるほど迷いが深まるだけなのに、求めずにはいられないのです。
また、いま現在、「幸せ」を感じている人は、その幸福感や、それに関連した状況を握りしめてしまい、手放すことができません。
それほど「幸せ」とは魅力的であり迷いやすいのです。
自我が大分薄くなっているはずの大悟者でも、この迷いから抜け出せない方がおられるようです。
どうしてそのように、迷いから抜け出すことができないのでしょう。
それには二つの要因があると、私は考えています。
一つ目は、無自覚のまま自分の自我の衝動に翻弄されているからです。
「幸せ」を求めるのは自我(エゴ)がやることですから、その自我の挙動に対する自覚がないことには、自分が翻弄されていることに気づきようがないのです。
この一つ目の要因に対しては、しっかりと自分を見る「自覚」をやっていただくことで対応できます。
二つ目は、「幸せ」を求める欲と、「幸せ」の対極にある「不幸」や「苦しみ」に対する恐れです。
欲と恐れは、根っ子は同じであり、同根なのです。
特に障害となるのが、この二つ目の要因なのです。
「幸せ」に対する欲を手放すことや、「不幸」等に対する恐れに打ち勝つことは簡単ではないのです。
しかし、より深く悟りの道を進んでいくためには、この壁を乗り越えていくしかないのです。
そのやり方としては、大凡二つの方法があるのだろうと思っています。
一つ目は、自覚を極めていくことにより、「幸せ」や「幸不幸」という考えの虚構性、無意味さを見破り、その迷いから抜け出すという方法です。
二つ目は、「幸せ」を捨て去ることです。
「幸せ」を求めることを放棄することです。
あるいは逆に、「不幸」や「苦しみ」を受け入れることです。
「幸せ」は、私たちのもとを時折気まぐれに訪れては、過ぎ去っていくものです。
そのような気まぐれで不確かなものを、求めないでください。
また、過ぎ去っていくものにしがみつこうとしないでください。
そこに得られるものは何もありません。
あなたの心は、いつまで経っても満たされることなく、虚ろなままです。
そのことに早く気づいてください。
あなたの意識を「幸せ」ではなく、あなた自身に向けてください。
コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。
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至福も含めて「幸せ」という感覚はまだ迷いの中なんです、ということをどうお伝えしたらいいのか、ここ暫くの間考えていました。
しかし、この「幸せ」というのはとてもデリケートで誤解も招きやすく、また迷いも深いため、それをお伝えするための上手い切り口が見つからないでいました。
いくら考えても、また妙案を待っていても何も出てこないので、今日は思い切って書いてしまうことにします。(^o^)
結論から先に書いてしまいますと。
歓喜や至福を含めた幸福感などの「幸せ」という感覚は、まだ迷いの中なのです。
「幸せ」は、幸不幸の言葉で表されるように二元の迷いの中なのです。
しかし、悟りの道を歩まれる方々の多くが、この「幸せ」の迷いから抜け出すことができません。
どうしても、「幸せ」を求めてしまうのです。
求めれば求めるほど迷いが深まるだけなのに、求めずにはいられないのです。
また、いま現在、「幸せ」を感じている人は、その幸福感や、それに関連した状況を握りしめてしまい、手放すことができません。
それほど「幸せ」とは魅力的であり迷いやすいのです。
自我が大分薄くなっているはずの大悟者でも、この迷いから抜け出せない方がおられるようです。
どうしてそのように、迷いから抜け出すことができないのでしょう。
それには二つの要因があると、私は考えています。
一つ目は、無自覚のまま自分の自我の衝動に翻弄されているからです。
「幸せ」を求めるのは自我(エゴ)がやることですから、その自我の挙動に対する自覚がないことには、自分が翻弄されていることに気づきようがないのです。
この一つ目の要因に対しては、しっかりと自分を見る「自覚」をやっていただくことで対応できます。
二つ目は、「幸せ」を求める欲と、「幸せ」の対極にある「不幸」や「苦しみ」に対する恐れです。
欲と恐れは、根っ子は同じであり、同根なのです。
特に障害となるのが、この二つ目の要因なのです。
「幸せ」に対する欲を手放すことや、「不幸」等に対する恐れに打ち勝つことは簡単ではないのです。
しかし、より深く悟りの道を進んでいくためには、この壁を乗り越えていくしかないのです。
そのやり方としては、大凡二つの方法があるのだろうと思っています。
一つ目は、自覚を極めていくことにより、「幸せ」や「幸不幸」という考えの虚構性、無意味さを見破り、その迷いから抜け出すという方法です。
二つ目は、「幸せ」を捨て去ることです。
「幸せ」を求めることを放棄することです。
あるいは逆に、「不幸」や「苦しみ」を受け入れることです。
「幸せ」は、私たちのもとを時折気まぐれに訪れては、過ぎ去っていくものです。
そのような気まぐれで不確かなものを、求めないでください。
また、過ぎ去っていくものにしがみつこうとしないでください。
そこに得られるものは何もありません。
あなたの心は、いつまで経っても満たされることなく、虚ろなままです。
そのことに早く気づいてください。
あなたの意識を「幸せ」ではなく、あなた自身に向けてください。
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