私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

「幸せ」という迷いからの脱却

2014年10月23日 21時23分36秒 | 自覚ワーク等の紹介
◇「幸せ」という迷いからの脱却◇

至福も含めて「幸せ」という感覚はまだ迷いの中なんです、ということをどうお伝えしたらいいのか、ここ暫くの間考えていました。
しかし、この「幸せ」というのはとてもデリケートで誤解も招きやすく、また迷いも深いため、それをお伝えするための上手い切り口が見つからないでいました。
いくら考えても、また妙案を待っていても何も出てこないので、今日は思い切って書いてしまうことにします。(^o^)


結論から先に書いてしまいますと。
歓喜や至福を含めた幸福感などの「幸せ」という感覚は、まだ迷いの中なのです。
「幸せ」は、幸不幸の言葉で表されるように二元の迷いの中なのです。

しかし、悟りの道を歩まれる方々の多くが、この「幸せ」の迷いから抜け出すことができません。
どうしても、「幸せ」を求めてしまうのです。
求めれば求めるほど迷いが深まるだけなのに、求めずにはいられないのです。
また、いま現在、「幸せ」を感じている人は、その幸福感や、それに関連した状況を握りしめてしまい、手放すことができません。
それほど「幸せ」とは魅力的であり迷いやすいのです。

自我が大分薄くなっているはずの大悟者でも、この迷いから抜け出せない方がおられるようです。


どうしてそのように、迷いから抜け出すことができないのでしょう。

それには二つの要因があると、私は考えています。

一つ目は、無自覚のまま自分の自我の衝動に翻弄されているからです。
「幸せ」を求めるのは自我(エゴ)がやることですから、その自我の挙動に対する自覚がないことには、自分が翻弄されていることに気づきようがないのです。
この一つ目の要因に対しては、しっかりと自分を見る「自覚」をやっていただくことで対応できます。

二つ目は、「幸せ」を求める欲と、「幸せ」の対極にある「不幸」や「苦しみ」に対する恐れです。
欲と恐れは、根っ子は同じであり、同根なのです。

特に障害となるのが、この二つ目の要因なのです。
「幸せ」に対する欲を手放すことや、「不幸」等に対する恐れに打ち勝つことは簡単ではないのです。

しかし、より深く悟りの道を進んでいくためには、この壁を乗り越えていくしかないのです。

そのやり方としては、大凡二つの方法があるのだろうと思っています。

一つ目は、自覚を極めていくことにより、「幸せ」や「幸不幸」という考えの虚構性、無意味さを見破り、その迷いから抜け出すという方法です。

二つ目は、「幸せ」を捨て去ることです。
「幸せ」を求めることを放棄することです。
あるいは逆に、「不幸」や「苦しみ」を受け入れることです。


「幸せ」は、私たちのもとを時折気まぐれに訪れては、過ぎ去っていくものです。

そのような気まぐれで不確かなものを、求めないでください。

また、過ぎ去っていくものにしがみつこうとしないでください。

そこに得られるものは何もありません。

あなたの心は、いつまで経っても満たされることなく、虚ろなままです。

そのことに早く気づいてください。

あなたの意識を「幸せ」ではなく、あなた自身に向けてください。



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読んで頂いてありがとうございました。

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コメント (5)
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