私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

私の体験談(解脱の悟り後のこと)(1)

2014年12月11日 11時28分59秒 | 私の体験
◇私の体験談(解脱の悟り後のこと)(1)◇

解脱の悟り後のことを書いてみようと思います。

まず最初に申し上げたいことは、解脱の悟りは皆さんが期待されるような凄いものではないということです。
おそらく、解脱の悟りを得られた方の殆どがなーんだと期待を裏切られたような気持ちになると思います。
そして思うのです。
「これって、普通やん(関西弁、笑)」と。
解脱の悟り後の意識の状態や感覚は、余りにも普通なのです。

そんな落胆を誘うような解脱の悟りではありますが、意識の本質的な部分では決定的な変化が起こっていたのです。
まずは、そのあたりから書いていきたいと思います。

私の意識に起きたその決定的な変化とは、一切の考えを掴まなくなったことです(掴めなくなった、と言った方が正確かもしれません)。
考えを掴まなくなったことで、一切の迷いが無くなりました。
またそれに伴い、自分の感情や思考が流れていくサラサラ感がより強くなり、自我がさらに薄くなったと感じています。
さらにそれと関連して、私の意識が定まったというか、不動になったと感じています。
私にはまだ自我があり、怒りや苦しみ等の感情や感覚もあり、あれこれと分別(思考)も起こします。
しかし、そのような動的な変化が絶えずありながら、私の意識は常に定まったままなのです。

解脱の悟りを得て一番良かったと思うことは、迷いが無くなったことです。
解脱の悟りを得る直前まで、私はああでもない、こうでもないと激しく迷っていて、モヤモヤとすっきりしないというか、とてももどかしかったのです。
そのモヤモヤ感やもどかしさが晴れてすっきりとしたことで、私の心は落ち着きました。
これはとても有り難いことだと思っています。

でも、期待外れというか、がっかりしたこともいろいろありまして(笑)、期待外れの一番は、依然として苦しみが続いていることでした。
私の場合、解脱の悟りの前後で苦しみは減りはしましたが、それ程減ったとは思っていません。
解脱の悟りを得ても、やっぱり苦しいままだったのです(笑)。
これは私だけがそうなのではなく、解脱の悟りを得た他の人もそうなのだろうと思っています。
なぜなら、苦には、病苦等に代表されるただ起こってくる苦と、その人が握りしめた考え(執着)に関連して起こってくる苦と、存在の根底にある苦の三つがあるのですが、解脱の悟りによって手放せるのは二つ目の執着に関連した苦だけなのです(この点については、近いうちに改めて記事を書きたいと思っています)。
解脱の悟りを得る人は、その直前の時点で既に握りしめた考えは殆ど無くなっているため、解脱の悟りに伴った体感的な苦の変化は余りないのです。

二番目に期待外れだったことは、解脱の悟り後も相変わらずものごとがうまくいかないことでした。
うまくいかないことは、家庭内のことや、仕事やお金に関することなどいろいろです。
解脱の悟りを得るといろいろなことがうまくいくようになるのではという淡い期待を持っていたのですが、その期待は無残に打ち砕かれました(笑)。
家庭内のゴタゴタやしんどさは減るどころか増えた感じだし、FX(為替)取引では大負けして取引の継続を断念することになったし、もしやと思って買った宝くじは当然のように当たらないし(ジャンボを1回、ロトシックスを3回買いました(笑))、余りいいことはありませんでした。(^o^)

とまあ、こんな具合でして、解脱の悟りは余りパッとしないのです(笑)。

次はまた、別の観点から解脱の悟り後のことを書いてみたいと思います。


コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

スピリチュアル ブログランキングへ
コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする